日本の受験システムに疑問を持ち、あえてその頂点にある東大受験に真っ向勝負を挑んで合格を果たしたモーリー・ロバートソンさん。しかし大学でも「現状維持」「受け身」な空気を感じ、早々に退学して同時合格していたハーバード大に入学します。そこで待っていたのは、日本とはまた違う「政治の波」でした。

 どこへ行ってもままならない現実に身を置きながら、それでも夢中になれるものに体当たりで向き合っていった20代を経て、モーリーさんが考える「枠にしばられず生きるために必要な力」とは?

未知の世界を探究する実験音楽に没頭

 東大を中退してハーバード大に入学した僕は、アメリカで高校のころまでに味わった開かれた教育、風通しのよさを期待していました。でも実態は逆。東大より10倍きつかったです。

 ものすごい量の資料を読まされ、授業は議論中心。特に当時のアメリカではレーガンの保守政権が誕生して、賛否両論が大きく、政治の問題が大学のクラスに還元されていました。

 大人のトピックで議論をさせられても、理解できていないのだからどちらが正しいかなんて決められません。そんな状態で、議論がうまかった人がいい点をもらえる。「どういう答えのある問題なのか先に教えてほしい」と言ったら、「そんなものはない」って言われました。日本式に染まっていたんですね。

 日本の場合は自民党一強体制が戦後ずっと続いていたので、基本的に「何も変わらない」っていう歴史観、社会観、政治観が浸透しています。ところがアメリカは何でも流動的で、共和党に行ったかと思えば民主党へと、価値観が容易にひっくり返ったりする。そういう前提の社会に行くと、すべてを分かり合えない人たちが、議論で最後はギリギリの妥協をします。そもそも答えが出ないことに対して妥協をするというのが、僕は嫌いでした。

 日本でやった受験勉強も全然通用しませんでした。大学レベルになると自分で思考する能力が必要なので、難しさがどんどん上がって、ついていくのが精いっぱい。結局、途中で自信がなくなって3年休学。7年かけて卒業しました。よくまあ卒業できたなと思います。

 そんな大学生活で没頭して学んだのが電子音楽です。中でも前衛的な実験音楽に目覚めました。実験音楽というのは言ってみれば自分の既存の審美眼を超えるということで、ある種科学に近いものがあります。音楽のメロディーや和音といった構造からも離れて、電子的に作り出した合成音の波形と直接向き合っているような感じ。哲学的でもあり、神秘的でもあって、「これだ!」という思いがありました。

 不毛な政治議論に振り回されることに嫌気が差していた自分にとって、何もないところで何かを見つけ出すような冒険に自分のすべてを注げるのは楽しかったです。