学生時代に日米を行き来し、教育システムの違いに戸惑いつつも、自分の中の「日本とアメリカ」を両立させようと努力してきた国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさん。勉強よりもコミュニケーション能力が重要視されるアメリカで2年を過ごした後、高校生のときに再び日本に帰国します。すると、アメリカでは空回りしてばかりだった女の子へのアプローチが成功し、急にモテるようになったのですが…。

 バンカラな私立男子校で目立つ行動を取ったことを発端に自主退学を余儀なくされたモーリーさんは、やがて反発心からの東大受験を決意します。

幼い「三角関係」が、学校中を巻き込んだ騒動に

 1970年代後半、僕が帰国して編入した広島の修道学園には、不純異性交遊はダメという校風がありました。女の子と付き合っている人は当時ほとんどいなかったし、会ってお茶をする程度で付き合っていると言われた。

 でもこっちはアメリカにいたときの感覚で、女の子と仲良くなってなるべく早くエッチしたいというところに向かってまっしぐらです。そんな僕の行動は修道では派手過ぎて目に余ったのでしょう。たびたび学校からけん制されましたが、それにもめげず、女子校の子と付き合っていました。

 2、3年文通した後に、お付き合いを始めたA子という女の子がいました。彼女はキスするだけで震えているような感じで、その先にエスカレートする気配はなかった。そんなとき、いつもグループで遊んでいたA子の親友B子が、「私はキス以上のことをしてもいいよ」みたいな感じで、僕に個人的に連絡をしてきたんです。それで「一本釣り」されてしまいました。

 親友にボーイフレンドを横取りされたことを知ったA子はショックを受けて、心身不安定になって入院してしまいました。16歳くらいの僕にはそういう感情の機微が分からなかった。一方で、B子とエッチの手前みたいなことを見よう見まねでやったら、急に不安になって「男と女はどこまでいくと妊娠するのか知ってる?」って、学校で隣の席に座っている友達に聞いたんですね。

 そうしたら男子校ですから、「あいつセックスしたらしい」っていう話が好奇心で瞬く間に学校中に広まってしまった。教頭に呼び出されて「何をやったのか」と問いただされました。

 今思うと、明らかにB子が僕を親友から横取りしたんですけど、子どもの社会では「A子をないがしろにして親友と付き合ったあなたは人としてどうなんだ」というふうにも言われました。そうした非難を浴びたことや、教師への猜疑心、交際を禁止されればなおさら会いたくなる心理がぐちゃぐちゃに混ざって、器用には乗り切れませんでした。 結局、日本でモテるようになったところまではよかったのですが、その後の関係性をどう作っていくかというところまでは学習していなかった。子どもだったんです。