日本は「我慢の美学」、アメリカは「社交性」が称賛される

 1970年代の広島市でも、けっこう中学受験熱はありました。僕も最初に塾に入ったときは門前払いでしたが、もう少し本気でやるので入れてくださいと頼んで入り直した。それで9カ月ぐらい頑張って、中高一貫の修道学園に進学しました。

 ここがまた江戸時代からあるような学校でね。「修道スピリット」みたいなのがあって、バンカラで、みんなで猛勉強させて、すごかった。中学2年の1学期までは頑張ってやっていたのですが、家の都合でアメリカに戻ることになったんです。そうするとまた教育の仕方が全然違う。修道で学んだ勉強法が全然役に立ちませんでした。

 日米のシステムを行ったり来たりして、一番きつかったのは数学の幾何です。「直角二等辺三角形」とか「平行四辺形」とか、日本は漢字が多過ぎます。それも明治維新の時代に外国語を無理やり翻訳したような、不自然な日本語化。英語だと簡単なんですよ。例えば「直角」は「right angle」。rightは「右」のほかに「正しい」っていう意味もあって、つまり「ちゃんと立っている角度」っていうこと。すごく簡単に、自然な言葉で説明するのでとっつきやすい。

 あとは学習のペースの違いです。日本の場合は「結果を出せ!」っていうのがすごくて、営業マンに「数字を取れ!」って言っているようだった。世はモーレツ社員の時代、促成栽培のグリーンハウスでとにかく詰め込んで早く結果さえ出ればいい。そういう点ではアメリカはなだらかでした。

 日本では脇目も振らずに点数を上げ、受験が近づいてきたら部活も諦める。犠牲の上に立派さがある、みたいな我慢の美学が求められます。アメリカは逆で、最重要なのはコミュニケーション能力です。そしてその延長で恋愛能力。モテないやつはダメです。

 学校での序列は上から「運動のスター」「モテる人」「勉強ができる人」。アメリカは格差社会なので、勝者には全部が集中します。勉強ができてバスケットボールのスターで女性にモテまくり。おまけに家は金持ちで乗馬をやっていたりする。無理、かなうわけない。

「日本の私立中での猛烈な勉強法は、アメリカでは全く役に立ちませんでした」
「日本の私立中での猛烈な勉強法は、アメリカでは全く役に立ちませんでした」