日本の小学校とインターの学習内容の違いに戸惑い

 父はスコットランド系アメリカ人、母は日本人です。僕はニューヨークで生まれましたが、5歳のときに日本に来て、広島市で暮らすようになります。小学生になると午前中は地元の公立小学校に通い、お昼からは近くにあったインターナショナルスクールに行く、みたいなことをやりました。

 ただやっぱり無理があって、公立小学校は1年生の1学期も終わらないうちに引き上げてしまいました。このあたりは親の判断なので、自分自身の意思でどうということはないですね。このころは日本に来て1年半くらい経っていたので、多少おぼつかないながらも日本語で会話はしていたと思います。

 インターには4年生の終わりまで通いましたが、夏休みの期間が日本とずれているので、3、4年生のころは年に2カ月くらい公立小学校にも行っていました。ところが勉強の仕方が違うので、年々ついていけなくなるんです。

 5年生からインターをやめて完全に公立小学校に移ったとき、一番苦労したのは算数です。インターでは九九を教わっていなかった。家で母親に教えてもらったり、『小学五年生』みたいな学年誌に載っている、漫画で勉強の解説をしたものを繰り返し読んだりしているうちに、何となく分かってきたんだと思います。アメリカ式の教育って、子どもに非常にゆったりやらせるんですよ。でも日本は5、6年生になると、職人みたいにがっちり応用問題を解かせたり、中学受験があったり、競争が激し過ぎました。

インターでの「日本語禁止」に嫌悪感を覚えた

 環境の違いにも戸惑いました。インターは全校で30人足らずで、学年に関係なくみんな顔見知りでファミリーみたいな感じ。ところが編入した日本の小学校は、全校で1000人くらいいるマンモス校。友達をどうつくったらいいかも分かりませんでした。勉強は難しいし、高学年になるとみんな放課後は塾に行ってしまう。遊んでもらいたくて僕も塾についていきましたが、授業に集中できなくてやめさせられました。

 でもインターに戻りたいとは思いませんでした。そもそも5年生で日本の小学校に移ることになったきっかけが、インターでいきなり日本語が禁止になったことだったんです。ハーフの子たちが日本語ばかりしゃべるというのが理由でした。

 日本語のステータスが格下げになったことに屈辱を感じましたし、「こんな言葉は要らない」と先生に決め付けられたようで、自分を否定された気になった。すごく嫌悪感と反発を覚えました。

 僕はどちらかだけになるのは嫌だったから、いかにアイデンティティーを保っておくかが自分の中で大きな課題になっていきました。日本かアメリカか、一方に収束するのはもったいない。ずっと両立させようと努力してきました。

 ちなみに弟は僕と逆のパターン。アメリカの学校から急に日本の学校に行ったりしたことで混乱して、日本語はあまり好きではなくなりました。今もずっとアメリカで暮らしていて、たぶん日本語も忘れていますね。