息子が便利過ぎるテレビ視聴環境に慣れていることに葛藤

 息子にも、「自分ならどうするか」は考えさせたいと思っています。ただ、今は便利なものに囲まれて何でも手に入る時代ですから、あんまり制約とか、我慢する場面がないんですよね。

 わが家は地上波のテレビ番組はタイムシフトで全部いつでも見ることができます。僕がデジタル機器好きだから、ハードディスクの容量も12テラ。あとはネットフリックスとアマゾンプライムとdTVにも入っているし、テレビに関しては国でもトップレベルのスペックだと思います(笑)。

 息子のテレビ視聴は1日1時間と決めていますが、見たいときに見たいものが見られてしまう。これでいいのかなっていう葛藤はずっとあります。だって、地上波の番組をリアルタイムで見ているときに、「何これ、今やってるやつ? 飛ばせないの?」とか言うんですよ。

 全部自分の都合でスタートして満足できるようになっているから、何となく「待てない」んですよね。本当は僕がファミコンを買ってもらえなかったときのように、待っている無駄な時間に何かする気力というか、発想のばねみたいなものがもっとあればなと思います。まあ、僕も感謝しているのは大人になってからで、当時ファミコンを買ってくれなかった親を本気で恨んでましたけどね(笑)。

「眠れる才能」への期待はないけれど、選択肢はできるだけ多く

 子どもに何か才能が眠っているかもとか、それを親が開花させなくちゃ、みたいな思いは僕には全然ないです。ただ、「本当はこれをやりたかったのに、知らなかった」っていうのはかわいそうだから、なるべくいろんな経験をさせて、多くの選択肢は与えたいと思っています。そこから選ぶのは息子自身。あと、僕はたまたまやりたいことが見つかったのが早かったけれど、早いほうが優れているとは一切思いません。見つかるのが早いか遅いかの差でしかないですから。

 日曜日はいつも僕がレギュラーの仕事で家にいないので、妻が定期的に、神奈川まで息子を絵の先生のところに連れて行っています。そこの教え方がちょっと独特で。アジサイを描くときに、まずは実物を触ってみましょうということで、花を触って、地面から抜いて、根っこを観察する。それで描いた息子の絵がとってもよかったんです。花だけではなく、根っこも描いてあった。

 妻がしっかりしているから、息子は毎日をすごく有効に使っている気がします。

「選択肢はなるべく多く用意してあげたいけれど、選ぶのは息子自身です」
「選択肢はなるべく多く用意してあげたいけれど、選ぶのは息子自身です」