「人に迷惑かけるな」の意識が相談にブレーキを

 それに、もし自分が周りの人から「行政に相談しろ」と言われたとしても、本当に困り切る段階まで相談しにくいだろうと思いませんか? これは私たちが「人に迷惑をかけるな」と言われて育ってきたことが大きく影響していると思います(迷惑をかけずに生きられる人なんかいないのに)。

 その根本には世間に漂う自己責任論があります。それを自分に内面化してしまっているため「支援を受けるなんてダメだ、まだまだ頑張れるはず。私は支援を受ける側だと思われたくない」と、自分で自分を縛ってしまっているということもあるでしょう。

 だからか、日本では生活保護を利用できる経済状況の人のうち、約2割しか利用していないという現状なんですよね。受給者をバッシングする声も目立っているので、生活保護はかなり受けにくいものになってしまっているのでしょう。憲法で保障された権利なので、堂々と受けてよいものなのですが。大切なことだからもう一度書こう。憲法で保障された権利なので、堂々と受けてよいものなのですが

 ここで懺悔(ざんげ)をすると、私も若かりし頃「貧困といっても自分の責任の部分はあるんじゃないか」と思っていました。なぜこんなふうに思っていたかというとあまりにも無知だったからです。病気や特性のために働くのが難しい人、生まれた環境、性別や属性、トラウマを植え付けるような人との関係……ここで私が書き切れるわけもなく、さまざまな理由を抱えた人が貧困に陥ることを私は詳しく知らなかったのです。

 知らないから想像力を働かせることもなく短絡的に「自己責任」と思ってしまう。そのほうが自分の現状を肯定できるという意識もきっとあったのでしょう。なんて浅はかだったのか。こういった一人ひとりの意識のせいで、支援が必要な人が受けづらさを感じていると思うと、非常に重い責任を感じるのです。

必要とする人に支援が届く社会に

 ホームレス問題に取り組んでいる企業のビッグイシュー日本が、灘中学の生徒に「格差社会と自己責任論」について講義したところ、自己責任論派の生徒が減ったそうです。日本有数の進学校の生徒であっても、知らなければ「自己責任」だと切り捨ててしまうこともある。でも知ることで変われるという、とても大切なことに気づける試みだったと思います。

 貧困問題に対して税金を使うことに、厳しい目を向ける人たちがいるけれど、今こそ、支援を必要とする人に支援が届くよう、社会から自己責任論をどんどん減らすことが必要です。そしてもう3回目だけどやっぱり書きます。生活保護は憲法で保障された権利なので、必要な人は堂々と受けてよいものなのです。