皆さん、こんにちは、ジャーナリストの治部れんげです。本連載では小学4年生の息子とジェンダーについて話をして、それを元に原稿を書いています。今回は、どうしても書いておきたいことがあるので、少しアプローチを変えてみます。

「女性でも努力すれば報われる」――、その信念を揺るがせる事件

 8月初め、東京医科大学の入学試験で女子や浪人生の一部が差別されていたことが明らかになりました。同大学は、男子受験生のうち、浪人回数が多くない人に加点していたのです。働く女性に関する取材を始めて約20年。私はこれまで、賃金や昇進など、性差別に関するテーマについて書いたこともありますが、今回はとりわけ大きなショックを受けました。

 その理由を考えてみると、これまで自分が「努力は報われる」と信じてきたことに気づきます。日本は諸外国に比べてジェンダー格差が大きな国ですが、頑張って勉強して学歴や技能を身に付け、それを生かした職に就ければ、女性でも活躍できる。男性と同じ賃金を稼いで経済的に自立できる。仕事や配偶者などに恵まれれば、育児とキャリアの両立も夢ではない――そんなふうに思っていました。

 地域や、育った家庭環境、経済状況の格差はあっても、条件面で恵まれた女性の中で働き続ける人が増え、意思決定に関わる人が増えれば、あと一世代もすれば「男女平等」は実現するのではないか。自分はそういう変化を加速させるために仕事をしているのだ、と考えてきました。

 けれども、こうした楽観主義を成り立たせるためには、一つの仮定が必要です。それは「競争環境がフェアであれば」ということ。アンフェアであるなら、努力してもむなしいだけかもしれません。

 私と同じように考える人は少なからずいるようです。

 普段、企業や行政で責任ある仕事をしていて、目の前の仕事だけでなく、組織全体、社会に与える影響を考えている人たちが、口をそろえてこう言い始めました。

 「娘をこのまま日本で育てていていいのか」
 「娘に就職先として勧められる日本企業があまりに少ない」

 皆、職務上の責任があるため「日本を捨てる」という発言を表立ってすることはありません。自分の子どもだけを海外に脱出させるというより、日本社会を良くすることで将来、子どもが社会に出るときには少しでも住みやすく、働きやすいようにしたいと考えています。そういう人たちの発言だからこそ、重みがあり、かつ、絶望感の深さを感じます。