当たり前になり過ぎていることに気付ける人間になってほしい

西口 子どもに対して思うことはありますか? 例えば、僕の場合、がんになったときは娘が年長だったんです。それで、入浴時にまだ自分1人で髪も体も洗えなかったので、自分でできるように教えたんですね。髪をどうやって洗うのかとか、背中をどう洗うのかとか。その結果、今小学4年生で、実はまだちゃんとできていないんですけど(苦笑)。

 でも、「この子が1人で生きていけるように」と考えたりはしませんか?

金澤瀬戸川 します!

西口 厳しく当たってしまうときもありますよね。瀬戸川さんはどういうときにありますか?

瀬戸川 四六時中叱ったりしますね。普通の母親と一緒です。「片付けなさい」とか「好き嫌いなく食べなさい」とか。できないときは「このままでちゃんと生きていけるの!?」「いつ私がいなくなるか分からないんだよ!」なんて言ってしまいます。

西口 そう言うと、お子さんたちは「そうだな、ちゃんとしなきゃ」となりますか?

瀬戸川 最初のほうは多少そういう感じでしたが、もう慣れたんでしょうね。全然効かなくなりました(苦笑)。でも、「自分の力で稼いで、ごはんを食べられる人間になってほしい」と思うので、そこをどうやって教えていったらいいかは、私にとっても課題です。

金澤 子どもに伝わっているかどうかは別として、やっぱりマナーや礼儀、人に嫌われないような人間になるということは、病気になる前以上に「伝えなきゃ」「分かってもらいたい」と思いますし、すごく意識しています。

 先々自分がいなくなったとき、娘たちはきっと多くの人に助けてもらわなくちゃいけなくなると思うのですが、そのとき周りの人から「助けてあげたい」と思われるような子でいてほしいんです。礼を失してはいけないし、できれば多くの人に好かれてほしい。そういうことは、事あるごとに言っている気がします。

西口 僕も本当にそう思います。うちは、僕と妻で全然性格が違うんです。妻は、中学受験をさせるかどうかとか、どういう進路に進ませるかみたいなことに関心があるんですけど、僕はそんなことはどうでもよくて。友達を大事にするとか、何かをしてもらったらちゃんと「ありがとう」と伝えるとかのほうが、よっぽど大事だと思っているんです。

 妻にそう言うと、「それは当たり前のことだから」と言われちゃうんですけど、当たり前のことを当たり前にするのって、そんなに簡単なことではないと思うんです。まだ身の回りのことも1人では十分にできない娘が、人に対して感謝の気持ちをちゃんと表現することができているのかというと、できていないんじゃないかと。

金澤 奥さんは娘さんの将来を見届けられるはずですし、何かあったときには注意できるという思いもあるのかもしれないですね。僕らの場合は、「自分がいなくなったら」ということが前提だから、「今言っておかなきゃ」「いなくなってもちゃんとしてくれるように」と思いますよね。

西口 僕が一番イヤなのはごはんを残すことなんですが、妻は割と「残してもいいよ」って言うんです。僕は食事の時間にいないこともあって、そのときは妻と娘の間では残してもいいことになっていると思いますが、たまに僕が一緒に食べるときにも娘が残したりする。それで僕が「残すな!」と言うと、妻も「なんでそんなに怒ってるの?」となって。

 僕にとっては、勉強ができる、できないよりも、そういうことが一番大事なんですが、そこの価値観を共有するのってなかなか難しい。もし僕がいなくなっても、娘が「お父さん、食事を残すと怒ってたな」と思ってもらえたら、それでいいと思っているんですけれど。

瀬戸川 私も、がんになっても色々な人に助けてもらって仕事を続けられているので、「人に助けてもらえるような人間になりなさいよ」という話はします。「ありがとう」「ごめんなさい」はちゃんと言うとか、食事は残さないとか。そういう「当たり前だけど、当たり前になり過ぎている」ことに、ちゃんと気付ける人間になってほしいと思いますね。

―― 下編に続きます!

(取材・文/荒木晶子、日経DUAL編集部 撮影/阿部昌也)

西口洋平
1979年大阪府生まれ。妻、娘(9歳)との3人家族。2015年2月胆管がんの告知後に「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう」を立ち上げ、活動中。現在、週2~3日働きながら治療を続けるとともに、「がんと就労」「がん教育」などのテーマで講演や研修なども行っている。