間違った情報を隠すのではなく、対抗できるだけの考え方、文化を作る
田代 性について正しく伝えると、子どもたちの行動は慎重になるのは確かです。私は、公立の中学校で、避妊と中絶のディスカッションをするといった授業づくりにかかわっています。授業前のアンケートでは50%近くの子どもたちが「同意があれば高校生になったら性交してもよい」と答えていますが、数カ月後のアンケートでは、その数は半減します。
私たちにとってはあたりまえでも、学ばなければ、子どもたちは、性交したら妊娠するとか、性感染症になるといった発想はできません。
それに子どもたちは、正しいことを知りたがっているし、性については興味津々です。生命誕生や月経、射精についても科学的な仕組みをみんなで学ぶと、最初は下を向いていて興味のない素振りをしている子どもたちの顔が上がってきます。
加えて、子どもたちには、インターネットにあふれている性情報を判断する力が必要です。「うちの子は奥手だから大丈夫」と思っているかもしれませんが、そうとも限らないし、子どもたちが見ている情報は、私たちの想像を超えていると思ったほうがいいかもしれません。私たちの常識が通じない現実もあります。
嘘の多い危険な性情報から子どもを守るには、こうした情報を取り締まる・無くしていくという方向性では、既に追い付かないし、きりがありません。大切なのはそうした情報に対抗する文化、価値観、考え方をどれだけ発信できるかです。本来は、それが学校の役割であるはずです。子どもたちは、私たちが思っている以上に学校を信頼していて、先生や親の言うことは正しいと思っているんです。そうした子どもの信頼にこたえられる大人に、親も教員もなれるといいですね
性教育に限ったことではありませんが、自分たちが「常識」と思っていることは、他のグループから見たら常識ではない、ということがあります。それは、世界から見た日本というだけでなく、大人と子どもの間にも大きな「常識」のギャップはあります。そのギャップをどう埋めていくのかは、やはり対話しかなく、対話ができない壁があるならそれを壊していかなくてはなりません。性教育での壁は性についてどう考えているか、つまり自分自身のセクシュアリティの問題となります。田代先生のお話を伺い、「どうして、性についてのハードルが高いのか」を、大人はもう一度考え直して、子どもたちと一緒にそのハードルを越えていくことが必要だと思いました。
そう考えると、日本の学校でも世界にキャッチアップした性教育をしてほしいけれど、学校だけに任せておけばいい、というものでもないことが分かります。「おうちで性教育」は、親から子への教育ではなく、子どもと一緒に親も学ぶ!のが正解なのでしょう。
埼玉大学教育学部総合教育科学講座教授