外からは集団生活に溶け込んでいるように見えても、実は大勢の人と接することに、苦痛や違和感を抱く人たちがいます。しかし彼らは「学校に行かなければ」「仕事をしなければ」といった義務感や、ルールを守ろうとする意識が人一倍強く、ひきこもることすら自分に許さないのです。

「ゆりな」さん(仮名・26歳 )が実際にひきこもったのは、社会人になってからの数カ月にすぎませんが「小中学生の頃から、ずっとひきこもりだという意識」を 抱いて生きてきたといいます。鋭敏すぎる感覚や母親の過干渉も、生きづらさを強める要因になりました。

お遊戯会で味わった「自分が自分でいられない感覚」

 ゆりなさんが初めて、「他人と違う」という思いを抱いたのは、幼稚園のお遊戯会でした。人前に出ると「自分が自分でいられないような感覚」に襲われ、舞台の後ろへ後ろへと下がってしまったのです。母親はそんなゆりなさんを「どうして前に出ないの!」と叱りました。

 小学校から大学に至るまで、授業が終わるとまっすぐ帰宅。放課後も週末も、ほとんどの時間を家で過ごしました。

 「ずっと、人と関わることを避け、部屋で一人過ごす自分はひきこもりだと思っていました」

 近くに住む母方の祖母に「子どもははつらつとして、外を飛び回っているもの」という理想像を植え付けられたことも、強く影響したといいます。普通の子のように遊べない引け目から「陰気な自分は、ひきこもりだ」と考えたのです。

 「私は、他人の言葉を受け流すことができず、その言葉通りに自分を演じなければいけないという強迫観念が強いのです。『子どもは元気な生き物だ』と言われると、脳内で『元気でいなければならない』と変換してしまいます」

 ゆりなさんは、人に物静かな印象を与えることが多く「いつも冷静だね」と言われることもしばしばです。しかしそれも中学時代、担任に「喜怒哀楽が分かりやすいね」と指摘されたことが原因でした。教師の言葉を否定的に受け取り、感情を抑えようと努めるようになったのです。

 また、ゆりなさんは一般の人に比べて、鋭敏な感覚を持っています。強い日差しを「痛い」と感じ、誰かが声を荒らげると、脳や心臓に言葉が突き刺さるような感覚に襲われます。人の視線が恐ろしく、大勢の人がいる場所で食事をすることも苦痛です。こうした繊細すぎる感性も、人と接することへの苦手意識を強める一因になりました。