仕込まれた「うつ・ひきこもりの時限爆弾」、両親には虐待の認識なし

 その後、20代のうちは海外を放浪し、30代半ばからはアパートにひきこもりました。どこにいても、社会とつながりを断って生きていることは変わらず「そとこもり」と「うちこもり」の繰り返しだったといいます。池井多さんにとって、母親の虐待は「うつ・ひきこもりの時限爆弾を、体に埋め込む行為」でした。爆弾は就職という「ゴール」が見えてきた瞬間に爆発し、その後の人生をむしばみました。

 両親と最後に会ったのは19年ほど前です。池井多さんは当時、家族との対話によって、うつ病から回復できないかという望みを抱いていました。しかし子ども時代に受けた暴力や言葉の数々を伝え「虐待したことを認めてほしい」と訴えると、父親は言いました。

 「それって、虐待か?」

 母親にも「虐待した」という認識はなく、謝罪の言葉もありませんでした。池井多さんは、80歳を超える母親を今も許せずにいます。「母はずっと『人間は自分の責任を取るものだ』と言って私の責任を徹底的に追及し、処罰しました。私は今、精神疾患を抱えて働くこともできません。私にした虐待に向き合い、責任を取ってから死んでくださいと言いたい」

「子どものさまよう場所に立ち、心を通わせて」親たちへのメッセージ

 実は今、池井多さんのように50代を迎えたひきこもり当事者と、80代の親を巡る「80・50問題」がクローズアップされています。当事者が高齢化し、老いた両親の介護や看取り、死後の相続問題、残された子どもがどのように生計を立てるのかなど、多くの課題をクリアする必要が出てきたためです。

 池井多さんは昨年12月、横浜市内で行われた講演で、中高年のひきこもり当事者を持つ親たちへ語りました。「私の両親と違い、皆さんは必死に子どものためを思っているのだと思います。それでもコミュニケーションが取れないなら、子どもの側に『分かってもらえた』という実感がないのかもしれません」

 「いい加減に仕事をしなさい、もういくつだと思ってるの」「私たちが死んだらあなたはどうするの」――。親は焦るあまり、子どもを問い詰めたり、責めたりしがちです。しかし池井多さんは言います。「正論を振りかざして親の役割を演じるのは、対話とは言えません。子どもがさまよっている場所に自分も立ち、一人の人間として本音で心を通わせてほしい」

 偶然にも講演会場は、池井多さんの両親が余生を送るマンションの近くでした。彼はおどけて窓のほうを向き、見えない親に向かって叫びました。「おーい、聞いてるかー」

 彼の言葉は、すべての親への問いかけのようにも聞こえました。

取材・文/有馬知子 イメージ写真/鈴木愛子