「今日しかない」と思ってみる

 さて、おとうさん、おかあさんにはもう一つお届けしておきたい禅語があります。それは正受(しょうじゅ)老人の「一日暮らし」という言葉です。正受老人は、臨済宗中興の祖・白隠(はくいん)禅師の師匠にあたる方で、真田幸村公の兄・信之公の子どもであると言われています。「一日暮らし」とは、どんな辛いことでも一日のことだと思えば耐えられるし、また楽しみだって一日のことだと思えば、それに溺れることはないという意味です。

 たぶん子どもたちは夏休みが40日もあると思ったら、なかなか宿題をやらないでしょう。でも毎日「宿題ができるのは今日一日しかないんだ」と思ったら、どうでしょう。きっと一日をただボーッと過ごすことは、なくなるのではないでしょうか。

 でもこれは何も子どもに限ったことではありません。大人の夏休みもきっと同じなのです。またもっと広い意味で考えて、「私たちの人生は今日しかない」と思って生きれば、私たちはきっと日々を一生懸命生きられるはずです。