名僧・松原泰道を祖父に持ち、東京都世田谷区野沢にある『龍雲寺』第十二代住職を務める細川晋輔さん。2歳の娘さんを持つパパでもあります。龍雲寺は「臨済宗」という禅宗のお寺です。禅宗の長い歴史の中で、多くの禅僧たちが“心を調えるために”伝えてきた言葉は「禅語」と呼ばれています。「こんなとき、どうしたらいいのかな」。子育てにちょっと戸惑いを感じたときに、“心のサプリメント”として効く禅語をご紹介していきましょう。

大切なのは自分自身の心

 すっかり春めいてきましたね。入学式を前にわくわくドキドキしていた頃を思い出し、なんだかとても懐かしい気持ちになります。新しい学校に入学したり、新しい学年に進級したり。そんな新しい生活を迎えるお子さんたちにぜひプレゼントしたい言葉があります。それは『直心是道場(じきしんこれどうじょう)』 という禅語です。

 中国の故事にこんな話があります。光厳童子(こうごんどうじ:修行を志す人)が、坐禅の道場から出てきたときのことです。前方から維摩居士(ゆいまこじ:世俗にありながら、仏教の奥義を極めた人)が歩いてきたので、童子は「どちらから、いらしたのですか?」と尋ねました。するとその維摩居士は、こう答えました。「私は道場からやって来ました」。それを聞いて童子は言葉に詰まってしまいました。なぜなら、いま坐禅の道場から出てきたのは、自分のほうだからです。

 しかし維摩居士はこう伝えたかったのです。「 自分自身が直心(素直な心)を持って坐禅に取り組めば、その場がどんな場所であってもそこは道場(修行の場)になるのだよ。“道場”という、形がきれいに整っている場所でなかったら修行できない、なんてことはないのだよ」と。

 私たち人間はついつい形から入ってしまうことがあります。「勉強に打ち込むには、やはり静かな環境が整っていないと」「スポーツも、施設がばっちり整っていないと」。「形」が整っていないと「物事には打ち込めない」。そんなふうに思ってしまうことは、結構ありませんか?

 しかし本当に大事なのは、環境でも師でもありません。 大事なのは、自分自身の気持ちです。「本当に学びたい」「本当にスポーツの技を磨きたい」「本当に、こうしたい」。そんな自分自身の“やる気”がなければどんなに環境が整っていても、その環境は台無しになるだけです。まず見つめるべきなのは、自分の「心」。どんな場所であっても 直心を持って取り組めば、そこは自分の道を究める場所になり得るというのが、この禅語の教えなのです。

 私も20代の頃は京都で修行をしていました。修行中は自由に本を読むことも許されません。本を読むなら夜、トイレの明かりのもとで読むしかありませんでした。20ワットの薄明かり、昔ながらのくみ取り式で、ちょっと独特のアロマも漂う空間です(笑)。でも、本当に読みたい本があるときは、そこがトイレであっても何も気になりませんでした。私は本を読むためにここにいる。明確な目的を持つと、あとのことは本当に、何も気にならなくなるものです。

 新しい環境に入ったときに実力が発揮できないと、人は「自分の周り」のせいにしてしまいがちです。この季節はたくさんの不安や不満が、お子さんの口から出てくることもあるでしょう。でもそんなときは、親が一緒になって環境の悪口を言うのではなく、ちょっと一呼吸置きませんか。

まだ始まったばかりだよ。
周りのことを気にする前に、
まず「いま自分ができること」「いま本当に自分がやりたいと思うこと」に
気持ちを集中して、取り組もうよ。
ここは、ゼロ地点。
まだスタート地点なんだよ。

 親はそんなふうに、子どもの背中を押してあげるだけでいいのかもしれません