傷があるから言えること、できることがある

 私の子ども時代は取り返せないが、その痛みがあって今の立場にある。区長として子どもの貧困や虐待問題に向き合う時、言えることがある。千葉県の小4虐待死事件に、自分の古い傷がうずく。保護先から「家に帰りたい」は、彼女の本心ではなかったことが、痛いほど分かる。支配者の命令は、絶対だ。そして、信用できると思った相手に裏切られた時、子どもは二度と助けを求めなくなる。

生野区区政会議の様子。すべての人に「居場所」と「持ち場」のあるまちへという目標を掲げ、地域や関係機関とつながって「一人も取りこぼさない」まちづくりを残りの任期で実現したい
生野区区政会議の様子。すべての人に「居場所」と「持ち場」のあるまちへという目標を掲げ、地域や関係機関とつながって「一人も取りこぼさない」まちづくりを残りの任期で実現したい

 虐待対策の会議で、「子ども自身に『自分が受けているのは虐待だ』と気付かせること、そして安心して助けを求められるようにすべきだ」と訴えるのは、当時の自分を救ってほしかったという願いも込められている。道半ばだが、過去のつらさに意味があったと思える仕事に就いている。

 今回で、民間人校長として3年、教育委員会の立場で1年、区長になって2年の合計6年間続いた日経DUALでの連載も最後となる。校長になったのも、区長になったのもミッションはただ一つ「経済格差を教育格差にしない」ためだ。

 4カ月の息子を抱いてFacebookを眺めていた時、流れてきた「小学校の校長を公募します」の案内を見つけてから、6年あまり。「校長受けるわ」「受かったから会社は譲るわ」「市教委に呼ばれたし行くわ」「落ちたら辞める前提で区長公募受けるから」「受かって生野区長になったから引っ越しせな」……私のすべてのわがままを受け入れているのか流されるままなのか、家事育児を全面的に担当し、ヨメの愚痴も聞き、子どもたちが安心していられる家庭をつくってくれている夫に感謝を伝えてこの連載を終わりにしたい。

 私があなたを選んだのは、「何の疑いもなく愛されて育った人の持つ素直さ」が羨ましかったからです。その世間知らずで私をいら立たせもするけれど(笑)、私の明らかに欠けているものを埋めてくれました。ありがとう。

生野区区政会議の様子。すべての人に「居場所」と「持ち場」のあるまちへという目標を掲げ、地域や関係機関とつながって「一人も取りこぼさない」まちづくりを残りの任期で実現したい
生野区区政会議の様子。すべての人に「居場所」と「持ち場」のあるまちへという目標を掲げ、地域や関係機関とつながって「一人も取りこぼさない」まちづくりを残りの任期で実現したい