5歳と4歳の子どもたちを育てながら、デジタルマーケティング会社で室長として働く多香実。

一見、仕事も充実し、子育ても満喫している今どきのワーママのようだが、実際は子育ても家事もほぼ自分でやらなければならない“ワンオペ状態”だ。

ある3月の金曜日、息子の颯太が熱性けいれんの発作を起こし、救急車で病院に運ばれた。診断結果はインフルエンザということで多香実はホッとする。しかしその安堵も束の間、夫の秀介に月曜日の病児保育への送りをお願いしても、まるで他人事。怒りで震える多香実の脳裏をよぎったのは、友人の千恵が授けてくれた魔法の言葉、「さしすせそ」だったが・・・。

『さしすせその女たち』 今回の主な登場人物

◆米澤多香実(よねざわ たかみ) 39歳/ デジタルマーケティング会社「サンクルーリ」ソーシャルマーケティング部クライアントオペレーション室 室長
◆米澤秀介(よねざわ しゅうすけ) 40歳/食品メーカー営業職 課長
◆米澤杏莉(よねざわ あんり) 5歳/みゆき保育園年中クラス
◆米澤颯太(よねざわ そうた) 4歳/みゆき保育園年少クラス

 土曜日は昼前まで寝てしまった。途中、颯太がぐずったので何度か目を覚ましたが、結局起きたのは11時近かった。

 呆れたのは秀介だ。多香実が起き出したとき、秀介はまだ杏莉と一緒に眠っていた。杏莉が寝ているのはわかる。夜中に起こしてしまったし、弟の颯太が救急車に乗せられる姿を目にしたのだ。小さい身体に、とてつもなく大きな負担がかかってしまっただろうと思う。ゆっくり寝てくれたほうが、多香実も安心だ。

 けれど秀介が、うかうかとこんな時間まで寝ているのはおかしいんじゃないだろうか。颯太のことが心配ではないのだろうか? 救急病院から帰ってきたとき、たとえそれまで寝ていたとしても、気になって起き出してくるのがふつうではないか? 颯太がけいれんしている最中は、多香実を罵倒するほどあせっていたのに、どうして何事もなかったように眠っていられるのだろうか。

 少しすると、杏莉が起き出してきた。

「おはよう、杏莉」

「颯太は? 颯太は? どこにいるの」

 心配そうに聞いてくる。

「まだ寝てるよ。インフルエンザだったのよ。もう大丈夫だからね、安心して」

「ああ! よかったあ!」

 大きな声と大きな笑顔で杏莉が答える。多香実は杏莉を抱きしめた。

「でもね、インフルエンザはうつったら大変だから、なるべく颯太の近くには行かないでね。必ずマスクもしてね」

「うん、わかった」

 杏莉がうなずく。昨夜の騒動を見て、なにか感じるところがあったのだろう。杏莉は素直にマスクを着けてくれた。

 杏莉と二人で朝食兼昼食を食べていると、秀介がようやく起き出してきた。

「頭いてえ……」

 開口一番そう言って、浄水器の水をがぶがぶと飲む。

「颯太どうなった?」

 キッチンカウンターの向こう側からたずねてくる。瞬時にカッと、頬が熱くなった。どうなった? とは一体どういう意味だろう。一体どんな神経の父親が、そんな言葉を吐くのだろうか?

<次ページからの内容>

・どこかに遊びに連れて行ってほしい
・そもそも食事だって作れやしない
・「さしすせそ」なんて、ひとつも使えない
・「おれだって忙しい。おれのほうが忙しい」
・「留守電聞きました、今日大丈夫ですよ」

次ページから読める内容

  • 「どこかに遊びに連れて行ってほしい」
  • 「そもそも食事だって作れやしない」
  • 「さしすせそ」なんて、ひとつだって使いたくない
  • 「おれだって忙しい。おれのほうが忙しい」
  • 「留守電聞きました、今日大丈夫ですよ」
  • 「帰ってきたら、抱きしめてあげてくださいね」

続きは、日経xwoman有料会員の方がご覧いただけます

ログインはこちら
日経xwoman申し込み
もっと見る

椰月美智子
椰月美智子 やづき・みちこ。1970年生まれ。小説家。02年、『十二歳』で第42回講談社児童文学新人賞を受賞し、デビュー。07年『しずかな日々』で第45回野間児童文芸賞、第23回坪田譲治文学賞をダブル受賞。その他の著書に、『るり姉』『恋愛小説』『その青の、その先の、』『14歳の水平線』『かっこうの親 もずの子ども』『フリン』『伶也と』『坂道の向こう』『メイクアップ デイズ』『明日の食卓』『消えてなくなっても』など多数。幼年童話『チョコちゃん』『チョコちゃんときゅうしょく』もある。小学5年生と3年生の男児の母。

…続きを読む