“ワーママ呪縛”にとらわれて、叫んだ浜屋さん

林田 いわゆる“ワーママ呪縛”ですね。それで、ずっと一人で頑張れたのですか?

浜屋 いいえ。案の定、復帰後半年位で限界に達して「もう無理!」と叫んでしまいました。それで、夫婦で家事育児をできるだけ細かい単位で棚卸しして、やらないこと、やり方をラクに変えられることを徹底的に探しました。そして夫は引き受ける部分を少しずつ増やしてくれるようになりました。

 その後も私が何度かキャパオーバーで悲鳴をあげるうちに、初めは8割が仕事に向いていたという夫の意識は、どんどん家庭にも多く向けられるようになってきました。本人いわく、少し前の映画のタイトルじゃないですが、『そして父になる』というプロセスだったと。今が踏んばりどきだと思って、家電の導入や病児保育の契約なども進めました。色々なことを手放したら、ようやく共働きを続けていく見通しが持てるようになりましたね。

 さらに、長時間労働をしていた夫は、仕事はハードながらも、よりフレキシブルな働き方が可能な職場へと転職が決まりました。私自身も仕事のペース配分がしやすい今の職場へ移り、共働きの両立体制づくりを根本から見直して、構築し直しました。

林田 家事育児分担だけではなく、働き方も含めてご夫婦で「Teamわが家」を構築されたということですね。夫婦で話し合って、根本から見直す、これが大事なことだと思います。

浜屋 自分一人で考えるとどうしても小さな工夫どまりで「部分最適」になりがちです。なので、「これを変えるのは無理だろうな」という思い込みを捨てて、夫婦で中長期的なスパンで働き方も考慮して「家族の全体最適をいかに実現するか」という視点で考えるようになりました。役割分担も固定的なものではなく、私が修士論文執筆の追いこみに入っていた時期などは、夫が全面的にバックアップしてくれて、逆に夫をワンオペ気味にさせてしまったかもしれません。

林田 日々の家事育児分担だけで考えると、お互いの押し付け合いになってしまうことがありますが、夫婦の一方が頑張りたい時期にもう一方がサポートするというような、お互いの希望をかなえ合うためだったら、納得感がありますよね。私が出会った中には、1年ごとに家事育児の主担当を夫婦で交替する方や、半年ごとに交替するというご夫婦もいました。

 また、夫が先に昇進したら、妻も同じポジションに昇進するまで夫が家事育児を全面的に担当するというご夫婦もいました。こうした夫婦で決めた取り決めがあれば、ある一時期だけ見たら家事育児の分担量的には公平でなくても、情緒的な公平感は確保されますよね。

浜屋 その通りですね。夫婦の両方がやりがいを持って働き続けるためには、両立の体制づくりに「夫婦それぞれがどのように働いていきたいか」も考慮することはとても大切なことです。そうすることで、一人ひとりの「部分最適」から「夫婦と家族の全体最適」につながると思います。

林田 次回は、チーム育児の体制づくりについて具体的に伺います。

(撮影/関口達朗)

浜屋祐子

北海道出身。国際基督教大学教養学部卒業後、日本銀行に入行し経済調査を担当。その後、人材マネジメント領域に転じ、人事・組織コンサルティング、社会人向けの経営教育事業等に従事した後、東京大学大学院に進学。修士課程修了(学際情報学)後は、経営教育事業に携わるとともに、働く人の職場内外での学びを支援する研究と実践を続けている。共著に『育児は仕事の役に立つ』(光文社)など。