しかし、これは意外と難しいことです。私自身、長女・次女の成長過程において、色々な問題や気がかりなことが起こるまでは、ただ単に「見る」という視点で子どもを見つめてきていました。「見る」と「観る」の違いは文字から見ても分かるように、後者はじっくりと子ども自身を観察するように見つめていくことです。

 周りにいる年の同じ子との比較もありますが、それ以上にその子自身の成長ぶりが大切です。実は「学習障害の9割は母親が見つけている」という研究結果もあるのです(※1)。

 発達障害の中でも、「学習障害」については日常生活での困り事がほとんどないことが多いです。だからこそ、見つかりづらいものがあります。

 親自身も「勉強が苦手だから、スポーツを頑張ればいいよね」とか「うちの子、物覚えが悪いから」と何となく割り切ってしまう部分もあるかもしれません。実は、困っていることやしんどいことを、子ども自身は“言葉”として親や先生にうまく伝えることができません。それが、この学習障害の発見を遅らせたり、発達の凸凹を見えなくしたりするものなのかもしれないと思います。

 特に「発達性読み書き障害」に関しては、言語理解などの部分もありますし、聴覚や視覚の発達のアンバランスもあれば、自己認知にギャップが生じることもあり、なおさら本人には自覚しづらいでしょう。なかなか、自分で「これが分からない、できない! 助けて!」とは言えない。つまり、「できない」「分からない」が言えるということは、つまりその「分からない」内容を理解して初めて言えることなのです。

 平成26年の文科省データによると、義務教育が必要な子ども1019万人に対して、支援が必要な子の割合は約34万人。平成16年比で3.3%アップしている状況です。約34万人ものお子さんたちが支援を必要とし、そのうちで発達の凸凹を感じる児童が6.5%いるという集計結果もあります。これは100人のうち約3人、一クラスに1~2人はそうしたお子さんが在籍している可能性があるという数字です(※2)。

一人ひとり違っていい 虹色の子どもたち

 色々な書籍の中に「このような傾向があったら、発達が…」というものがたくさんありますよね。調べだすと不安に陥ることが多くあります。

 私自身も「大人のADHD」というチェックリストを見るたびに「あー」と自分にも当てはまるものに、うなずいてしまいます(笑)。大人だって、いろんな凸凹があるのが、正直なところだと思います。

 情報社会が進むことで今まで見えなかったものが見えてきて、そうした凹凸を枠によってまるで識別するように、“ふるい分け”がなされているように感じることもあります。確かに、枠があることも大切かもしれません。でも私は虹のような1人ひとり違う子どもたちの個性をもっと丁寧に観ること、そのなかで苦手なこと、得意なことを親や周りの大人たちがしっかりと認めていくことが重要なのかな、と思っています。

 最近、発達の凸凹について学んでいる中で、そのたびに耳にすることが「親御さんが、お子さんの苦手なことや困っている気持ちを理解しない」ということ。親として一生懸命に産み育てたわが子が、例えば「あなたのお子さんは、発達障害のグレーゾーンです」と突然言われたら、誰でもショックですし、「グレーなんかじゃない!」と思うほうが自然。なかなか、そのままを受け止めるのは難しいことです。

 ラべリングをするだけして、黒、白、グレーの3色だけでなく、もともと「もっと色々な色がある」というスタンスを誰も教えてはくれないことが、こうした子どもたちの生きづらさにつながっているようにも思います。