5歳と4歳の子どもたちを育てながら、デジタルマーケティング会社で室長として働く多香実。

一見、仕事も充実し、子育ても満喫している今どきのワーママのようだが、実際は子育ても家事もほぼ自分でやらなければならない“ワンオペ状態”だ。最近は仕事場でも、チーム内の部下であるゆりかの妊娠、そして他の女性社員をまとめるマネジメントに苦心している。

3月のある日。帰宅して寝かしつけ、いつものようにあと一仕事、というところで息子の颯太がぐずり泣きを始めた。抱いてみると高熱が…!

『さしすせその女たち』 今回の主な登場人物

◆米澤多香実(よねざわ たかみ) 39歳/ デジタルマーケティング会社「サンクルーリ」ソーシャルマーケティング部クライアントオペレーション室 室長
◆米澤秀介(よねざわ しゅうすけ) 40歳/食品メーカー営業職 課長
◆米澤杏莉(よねざわ あんり) 5歳/みゆき保育園年中クラス
◆米澤颯太(よねざわ そうた) 4歳/みゆき保育園年少クラス

◆峰岸(みねぎし)ゆりか 29歳/「サンクルーリ」正社員。ソーシャルマーケティング部 クライアントオペレーション室。妊娠6ヶ月

◆竹下(たけした)彩名(あやな)  29歳/「サンクルーリ」アルバイト。ソーシャルマーケティング部 クライアントオペレーション室。独身

 会社に着き、多香実は午前中の穴を埋めるごとく仕事に取り組んだ。今日はゆりかも出勤していた。顔色もよく体調も良好に思え、多香実は安心した。お腹のふくらみも目立ってきて、ゆりかを目にするだけで、幸せのおすそ分けをもらえるような気分になる。

 ゆりかは一心不乱に集中して仕事をしている。

「あんまり無理しないでね。身体がいちばんだから」

 多香実が声をかけると、ゆりかは申し訳なさそうにうなずいたが、手を休めることはなかった。産休まであと2カ月ほどだ。どうか無事に乗り切ってほしいと願う。

「妊娠って病気じゃないよね。それなのにこんなに休んでいいんだ? って感じー。それにさ、妊婦って、セックスした日をみんなに知らしめているようなものじゃない? 公然わいせつだよね。てか、セクハラ?」

 えっ?

 給湯室から聞こえてきた声に驚いて、多香実は足を止めた。愉快そうな笑い声が続く。多香実は給湯室に行くところだったが、そのまま通り過ぎてトイレへと向かった。

 心臓がどきどきしていた。多香実はトイレの個室に入りドアを閉め、トイレに入ったときの習いでとりあえず用を足し、それから洗面所で丁寧に手を洗った。

 耳を疑うような内容だった。声の主は、同じプロジェクトチームのアルバイト、竹下彩名に違いない。特徴のあるハスキーボイスなのですぐにわかる。彩名はチームのムードメーカーで、いつでもたのしげな様子は見ていて気持ちが明るくなる。仕事も早くセンスがあるので、チームのなかでも頼りにしている一人だ。

 ゆりかの体調不良に対しても、人一倍心配しているようなそぶりを見せていたが、まさかその彩名が、ゆりかのことをあんなふうに言うなんて、にわかには信じられなかった。一緒にいたのは誰だろうか。彩名の他に二人ぐらいいたような気がするが、特定できなかった。

 彩名はお調子者の面があるので、勢いがつきすぎて、つい度を越して言い過ぎてしまったのかもしれない。そばにいた人も、えげつない冗談に思わず笑ってしまっただけなのかもしれない。けれど、見過ごせない冗談だと思った。心で思っていたことも、言葉に出したとたんに、真実味と現実味を帯びてきてしまう。

 彩名とゆりかは、同じ29歳だ。ゆりかは正社員で既婚者で妊娠中。一方の彩名は、アルバイトで独身者だ。そういう差異に、微妙なやっかみがあるのだろうか。

 それにしても、妊婦のことを公然わいせつやセクハラなどという言葉で貶めるなんて、たとえ冗談だとしてもひどいではないかと多香実は思った。しかも給湯室だ。どこで誰が聞いているかわからない。万が一、ゆりかが聞いたらと想像すると、胃がずしんと重くなる。女の敵は男ではなく、女だったのかと思うと、悲しくなる。

 ゆりかの頻繁すぎる休みは他の社員にとって悪影響だったか、と多香実は部下を持つ人間として反省した。けれど、体調が悪いのは仕方ないではないか……。いくら考えても答えは出そうになく、ざらりとした感触だけが残った。

<次ページからの内容>

・「生活費として毎月13万円秀介からもらっている」

・「すごい熱なの! 救急センターもやってないし、どうしよう」

・「こんなの、おかしいだろ! まじヤバいよ、気持ち悪りい!」

・ 「……颯太が死んだらお前のせいだからな」

次ページから読める内容

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  • 「すごい熱なの! 救急センターもやってないし、どうしよう」
  • 「……颯太が死んだらお前のせいだからな」

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