5年間の中学校生活がくれた経験

 よく「かわいい子には旅をさせよ」と言いますが、私自身、全く英語ができない小5のときに父の仕事でアメリカのワシントンD.C.に引っ越しました。ABCも知らないところから授業を理解するまで時間がかかりましたが、中1のときに当時NYでやっていた世界博覧会に「一人で行ってこい」といわれ、旅に出ました。

―― 既にアメリカにいらっしゃったとはいえ、一人で飛行機に乗って旅行なんて、怖かったでしょうね。

斎藤 当時は、今ほど簡単に飛行機に乗ったりすることもない時代ですし、飛行機に乗るのも駐機場からタラップの階段を上がって行くのが当たり前でした。たった一人でタラップを上がるとき、緊張のあまり足がガクガクしたのを覚えています。今でも当時の状況を鮮明に記憶しています。でも、自分のバウンドリーを大きく超える経験になりました。

 さらに、その後中3で日本に帰国したときは、日本を異文化に感じる経験をしました。当時は日本人学校も海外にない時代だったので、漢字も日本の勉強も全然分からないまま日本の中学校の3年生に入ったら、周囲はもう高校受験が終わっていたんですね。帰国子女という言葉もないころで、学校側も受け入れ態勢がないので、「じゃあ1年下がろう」と中2に入ったもののやはりついていけない。それで「じゃあもう1年下に」と中1に入ることになりました。2歳年下の中で自分だけ背丈は大きかったものの、あまりに何も日本のことが分からない私に担任の先生が“斎藤くん係”を決めてくれて、その係の子たちが世話をしてくれました。アメリカでは飛び級や落第が当たり前なのであまり気にはしなかったものの、アメリカも入れると5年間の中学生活を送りました。でも、日本での2年間の経験は、私の人生でそれ以上の意味があったと感じています。

グローバル人材向けプログラムでの活動の様子(エッセイコンテスト表彰の様子)
グローバル人材向けプログラムでの活動の様子(エッセイコンテスト表彰の様子)