放っておくことと、放任との境界線は?

―― 放っておくということと、完全に放任になってしまうことの違いについてお伺いします。ネグレクトや育児放棄、ご飯を食べさせないというところまでいったら、もちろんそれは行き過ぎですが、そこの差はなんでしょうか。

池上 私が言いたいことは、どれだけ子どもと会話を交わすかということです。見るのではなく、会話です。例えばサッカーの練習に送っていって、親は違うことをやっていた。帰りに迎えに行って「今日はどうだった?」と聞く。「こんなことがあったよ」と言ったら「今日はがんばったんだね」というような会話をしていれば、ほぼ心配ない。それが、迎えに行っても何も聞かないとなると、子どもは「お母さんは、僕のことをちゃんと見ているのかな?」「じゃあもういいや」となったりします。離れて、見ていないけど、ちゃんと心はつながっている。そうすると子どもは安心してサッカーに行けるんです。

―― 「今日はどうだった?」と聞いたときに「今日は何もできなかった」というようなことを子どもが言っても、「なんで何とかしないの!」と言ってはいけないんですね。

池上 そうです。まず、会話のスタートは「今日は楽しかった?」という質問から始めるべきです。「楽しかった」と言ったら「何があったの?」と聞く。「楽しくなかった」と言うときは「そうなんだ」と言って原因をさりげなく探ればいいですよね。「あいつが~して」などと話してきたら「その子とは普段はうまくやってるの?」などと聞いてみると、友達関係も見えてきますよね。見ないからこそ会話を増やさなければいけない。

―― 自分の子どもですけど、遠慮がないぶん友達とか以上にスキルが問われますね。

池上 子どもはすぐ逃げようとするし、親は責めるほうに向かいがちなので、会話が続かない。そうではなくて、すべてを受け入れるように聞いてあげられたら、一番いいんですけどね。なので「見ないほうがいいですよ、見ないほうがお互いに幸せですよ」とよく言うんです。お母さんは見ないでいて「今日はどうだった?」と聞いたときに、子どもは「楽しかった! 今日は2点も入れちゃった!」って嘘をついておけばいいんです(笑)。そして、親はわざとだまされておけばいいんです。親だって、この子本当は入れてないよな、というのは分かりますので(笑)。「じゃあ、今度見に行ってもいい?」と言ってみる。「いや、来なくていいよ」と言ったら、だいたい嘘だなって分かるじゃないですか。そんな感じでいいんだと思います。

(日経DUAL編集部 砂山絵理子)