子ども同士なら引っ込み思案の子も意見を言いやすい

―― 子どもに任せて考えてもらうと、臆せず話せたり、頭の回転が速くてすぐにできたりする子もいれば、どうしても人任せになってしまう子もいます。人任せになってしまう子も、先生でなく他の子どもが引っ張ったほうがいいということでしょうか。

池上 先生と子どもとか、指導者と子どもとか、年齢差が非常に大きいです。そうすると子どもからすると、先生や指導者が言うことはすべて「答え」なんです。ところが同学年や友達の言うことは、やり方を教えてくれるだけで、それは「答え」だとは思わない。例えば「僕はやらないよ」という反発もできる関係ですよね。より自由で、普段気づかない、または考えない子たちが「ああ言われたけど、僕はいいよ」と自分の意見が言える。先生や指導者に言われたら、「僕はいいよ」とは言えないですよね。結局言われるがままになってしまう。同じことを言われるにしても、立場や関係性で変わってくるんです。

―― 子どもに任せる、考えさせるということは、例えば「運動はやめたい。家でダラダラしたい」という子には、そうさせたほうがいいのでしょうか。

池上 私の考えとしては、少なくとも小学校卒業までは親に責任があると思っています。運動を全然せずに育っていくとどうなるのか。運動をしていると何が起きるのか。そんなことを親が考えるべきです。例えばサッカーをやり始めたのに、やる気が見えない子には、親が「他のスポーツはどう?」と提案してもいいと思います。どうも日本人は「やめる」というと「もう一生やらない」みたいになってしまうので。そういう、ゼロかイチかみたいなことではなく、「今はサッカーじゃなくて、違うことをやろうか」としておいて、またやりたくなったら戻ってくるという、そういうものであってほしいと思います。