小学校4年生までは全く勉強をしない子だった
日経DUAL編集部(以下、――) 学生時代は韓国留学を経験、大学卒業後はチュニジア留学や議員秘書、大手教育会社の会長秘書を務め、3カ国語を操るなど多彩な経歴ですよね。表情豊かでチャーミングな笑顔がとても魅力的な小宮山さんですが、幼いころはどんなお子さんだったのでしょうか。
小宮山利恵子さん(以下、敬称略) もう本当にわんぱくな女の子で。男の子みたいだとよく言われました。放課後は、男の子とばかり遊んでいたんです。木登りをして落ちて骨折したり、家で延々とテレビゲームをして、ゲーム機から煙が出て壊れたり(笑)。学校の宿題以外で勉強は小学校4年生くらいまでは一切していませんでしたね。
―― ご両親は共働きですと、放課後の居場所はどうされていたのでしょうか?
小宮山 小学生のころは、私は週5日学童に行って、17時ごろに祖母がいる家に帰って母親が帰るのを待つ、という生活でした。父は仕事が忙しく、家にあまりいませんでしたが、休みの日には、水泳やキャッチボールなどスポーツを教えてくれましたね。母は出版社に勤めていて毎朝出かけて夜に帰ってくる、という感じでした。
―― 夜まで親の帰宅を待つ間は、寂しい思いをしたこともあるのでしょうか。
小宮山 いえ全然。親が共働きでラッキー!って思っていました。自由な時間がたくさんあって、自分でなんでも好きなことができる。自由に時間の使い方を組み立てられるから、最高だと思っていました。それで、本当に遊んでばかりいたんですけど(笑)。
今でも拘束されるのは嫌いで、自由に自分が思うところに足を運んで情報を集めたり、時間を自分で組み立てたりするのが好きですね。今、10歳になる息子がいますが、息子にも夏休みなど長期休み中の1日の計画は自分で立てさせましたし、やるべきことを済ませたら、後は子どもの自由にさせています。