時計の文字盤が読めない僕を特訓する母は厳しかった

西川 北海道の故郷は保育園や幼稚園もない村で、小学校に入る前は障害が指摘される機会もありませんでした。父は北海道電力の所長で仕事人間だったから、子育ては母親に任せきりでしたね。僕らは男4人兄弟で、長男が優秀だったので、一人ぼんやりした子がいても長男が跡を継げば大丈夫、くらいに構えていたと思います。

 一方、母親のほうは小学校に入ってもいっこうに僕が名前も書けないし、捕まえたネズミに火をつけたりと、危ない悪戯ばかりしているので(こういう危険を求める傾向はアスペルガーの特徴だと後で分かりましたが)、自分が変な子を産んでしまったと責任を感じたようです。実母が同居していたので、その負い目もあったんですね。何とかしないと夫に申し訳ないと思って、物差しで叩きながら必死に僕に時計の見方を教え込もうとしました。今だったら虐待で捕まるかもしれないほど厳しかったです。僕が卒業式で答辞を読んだときは、父兄の席で母が一人、小さくなって泣いているのが見えましたね

―― 自分を丸ごと受け入れてくれる森田先生にスイッチを入れられたことで、うまく勉強にハマり、道が開けていったのですね。

西川 もう一つ、勉強もスポーツもできる東君というクラスメートの存在も大きかったですね。競い合う相手がいたことで、張り合いがあったんです。でもその後は順風満帆…とはいかず、転校で彼と同じ高校に行くことができなかった僕は目的を失い、すっかりグレてしまいました。けんかばかりして、これもアスペルガーの特徴ですが、どんどん強い相手とけんかがしたくなり、せっかく入学した大学も中退。ぶらぶらしていたらお金になるよ、と誘われてイラクに工事の現場監督をしにいくと、戦争が始まり、目の前でどんどん人が死んでいくなか、命からがら隣国に逃げ出したこともありました。

 “このままじゃ駄目だ”と思い始めたある日、ふと手にした機内誌の旅行記を読んで、“これなら僕のほうが面白い話を書けるんじゃないか”と思えた。それが作家を志したきっかけです。

―― そして一念発起し、作家デビュー。『おかあさんといっしょ』の「ぐ~チョコランタン」の脚本を担当したり、推理小説『刑事の殺意』など、様々なジャンルで活躍。結婚、子育てもされました。