人として引かれ合ったマキとジョン

 マキさんは茨城県水戸市の出身。子どものころから性に違和感があり、早稲田大学への進学を機に上京。女装するようになり、姿格好は見目麗しい女性となった。当時、有名だった六本木のゲイクラブ「プティ・シャトー」でデビューし、“現役早大生ゲイボーイ”として、メディアで取り上げられるようになった。

 群馬県前橋市出身のジョンさんは高校卒業後、都内の高級ホテルに就職。その後、六本木のレズビアンクラブやブティックなどを経て、地元に戻り、ゲイやレズビアン、ノンケをミックスした「パブハウス・ジョン」をオープンさせた。

 そんな二人の出会いは1986年。御巣鷹山の日航機墜落事故が起きた翌年だった。

 「私が大学卒業と同時にプティ・シャトーを辞めて、先輩に誘われて前橋のゲイバーにゲストとして呼ばれてきたの。ジョンはその店の常連だったのよ」(マキさん)

 「知り合いのママから『六本木直輸入でいいコが入ったわよ』って電話があってね。それまで閑古鳥が鳴いているようなお店だったから、半信半疑で行ってみたらお店は大盛況。私もそれまで田舎のオカマしか見ていなかったから、初めてマキちゃんを見たときはカルチャーショックを受けましたよ。歌も踊りもセンスがよくて洗練されていて、別格でした。マキちゃんが来てからというもの、お店も毎日満卓が続いて、私も通うようになりました」(ジョンさん)

 マキさんもゲイバーが終わるとジョンさんが経営するスナックに通うようになり、二人はすっかり意気投合。毎日のように飲み歩き、お互いの家を行き来するようになった。

 「私としては、お店によく来てくれるお客さんで話も合うし、徐々に存在感が大きくなっていった。何より心に響いたのは料理よね。常連さんと同伴のときにジョンのお店に寄ったら、お通しで出てきたひじきが本当においしかったの。思わず『えっ、これデパ地下か何かのお総菜?』って聞いたら手作りだって聞いてね。思わずおかわりしちゃったわよ、お通しなのに」(マキさん)

 「マキちゃんが住んでいた寮は洗濯機がなかったから、うちで洗濯してあげたり、休みの日に高崎まで出かけたり。帰りは車でマキちゃんを寮まで送り届けてあげていました。それまで楽しい時間だったのに、急に一人になって寂しく感じたのを覚えています」(ジョンさん)

 寂しい、といっても恋愛感情ではないという。あくまで「親愛の情」であり、お互い相手を恋愛対象としては見ていなかった。実際、マキさんはジョンさんの友人の男性と恋人関係にあり、ジョンさんもそのことを認めていた。

 「それにね、ジョンは男のアレが好きじゃないのよ。私、見た目は女だけど、竿だけはついてるから(笑)」(マキさん)

 ともあれお互い引かれ合い、まず仕事のパートナーとなった。マキさんはゲイバーを半年で辞め、それまで家賃を払っていた東京のマンションも引き払い、本格的に前橋に引っ越すことになった。そこで、ジョンの店のチーママとして働くことに。数年後には今度はマキさんが自分のお店を出し、立ち退きにあって店を閉めたジョンさんと二人で、新しいニューハーフショーパブを経営。だが、バブルが崩壊し、赤字が続いて店は閉めることになった。

 「借金返済のために、前橋の家は借りたまま、私は東京や新潟、富山とか地方に出稼ぎに行って、ジョンは伊香保温泉のサロンの主任として働くようになりました。お互い、休みの日だけ前橋に帰るという生活でしたね」(マキさん)

 そのころに二人は結婚を決断した。