自分に向いていて成果が出そうなことを努力する

 ところで、私と夫は、住民票を申請するとき、世帯主を私にした。(中略)
 そして、私は正直なところ、世帯主を私にして良かったなあ、とときどき感じている。市からの通知が私の名前宛てで届くことが、私たちの関係を良好にしているように思える。たとえば、選挙の投票所入場券も、私の名前宛てに送られてくる。それを持って夫と一緒に投票へ行く。もしも、この立場が逆だったら、私の感覚も少しずつ変わっていったのではないかと思う。小さなことでも、積み重ねると、思想は変化する。

――「母ではなくて、親になる」本文より

―― 男性だから、女性だからという性差や、夫婦の場合、世帯主は夫にする、といった定型に縛られない考え方をするようになったのは、いつからですか?

山崎 自分としては、生まれつきのような気がします。女性としての美徳が自分には備わっていない。容姿もよくないし、よく気が付く、優しいといったいわゆる女性らしい性格もない。かといって、それに向かって努力するのも癪だな、と。限られた人生の中で努力できることは僅かなのだから、自分に向いていて成果が出そうなことを努力したいと思ったんです。

 13年前に作家としてデビューをしたとき、当時はまだネットのリテラシーが低いこともあり、容姿を誹謗中傷されました。何でこんなことを言われないといけないのだろうと思い、今まで以上に女性らしさに向けて自分は頑張らなくてもいい、と考えるようになりました。

 代わりに、自分は好きな仕事をちゃんとやっていて、一応それなりの収入がある、ということを美徳だと思い、自分に自信を持とうと思ったんです。

 夫は「町の本屋さん」で素晴らしい仕事をしている書店員で、優しくて人間的にいい人なのですが、業界柄、収入はそんなに多くはありません。それはとてもいいことだと思っています。なぜなら私のよさを分かってくれるから。

 もしも収入がたくさんある夫なら、妻は仕事する必要はない、となるかもしれませんが、夫の場合、私の仕事の大変さを理解してくれ、仕事をしていることを偉いと思ってくれています。この人との組み合わせなら、私が仕事をしていることが長所になる、プラスになる。

 性別にこだわらず、これが自分の長所だと思うことを見つけるといいと思います。世帯主の件は、名字は夫のものにしたので自分が委縮してしまうときがあるから、世帯主を自分にしたら精神バランスが整うかな、と考えました。

―― エッセイの中でも、競争に勝つことだけでなく、多様性を大事にすることが大切だというお話が印象的でした。

山崎 私自身、夫と知り合う前はものすごく向上心があり、都心に向かって引越をして家賃を上げて自分にプレッシャーをかけようとか、作家は文学賞をもらわないと絶対やっていけない、などと思っていました。

 結婚をして夫と暮らすうちに、他人からはいわゆる負け組といわれる人生だとしても、自分なりに楽しんで仕事をやっていける、自分の好きなことをやっているだけで自信を持って生きていける、と夫の考えを見習うようになりました。子どももそのような価値観を身に付けてくれたらいいな、と思っています。

(取材・文/平野友紀子 写真/品田裕美)