連載の第2回では不登校の子どもと親の相談会でアドバイザーを務めている内田良子さんに、不登校の子を無理に学校へ戻そうとするのは得策ではないとお話しいただきました。それでは、わが子が「学校に行きたくない」と言ったとき、親はどうすればいいのでしょう。まず最初に自らも不登校の経験をもつ『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんに子どもの気持ちを、続いて内田さんに親の対応をお聞きします。

【年齢別特集 小学校低学年のママ・パパ向け】
第1回 小学生の不登校は過去最多 低学年の子どもたちは
第2回 「明日は行く」は絶望の言葉 不登校児の本音は?
第3回 不登校児の「行きたくない」受け入れる自信はある?←今回はココ!
第4回 将来のひきこもりが心配! 親が今できる7つのこと
第5回 学校へ行きたくないあなたへ 味方はココにいます

子どもの成長に伴い、ママやパパが抱く育児の喜びや悩み、知りたいテーマは少しずつ変化していくものです。「プレDUAL(妊娠~職場復帰)」「保育園」「小学校低学年」「高学年」の4つのカテゴリ別に、今欲しい情報をお届けする日経DUALを、毎日の生活でぜひお役立てください。

学校に行けない事実を受け止め、安心して過ごせる環境を整える

 不登校新聞の取材を通し、不登校の子どもたちに寄り添い、親を支え続けている石井志昂さん。親のとるべき対応について、石井さんはどう考えているのでしょう。当事者の立場からお話しいただきます。

石井志昂さん

『不登校新聞』編集長。1982年生まれ。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」に入会。17歳から不登校新聞社の子ども若者編集部として活動。不登校新聞のスタッフとして創刊号からかかわり、2006年に編集長に就任。現在までに不登校や引きこもりの当事者、親、識者など、300名以上の取材を行っている
石井志昂さん 『不登校新聞』編集長。1982年生まれ。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」に入会。17歳から不登校新聞社の子ども若者編集部として活動。不登校新聞のスタッフとして創刊号からかかわり、2006年に編集長に就任。現在までに不登校や引きこもりの当事者、親、識者など、300名以上の取材を行っている

 第2回でも言いましたが、不登校の子どもは、学校に行ってほしいという親の思いを察して、「明日は学校に行く」と口にすることがあります。でも、実際はなかなか行けません。「学校に行く」と言っている本人も嘘をついているわけではなく、本当に行こうと思っています。でも、「やっぱり無理」とか「学校には行かないけど、勉強だけはする」と、言うことが変わるというようなことはしばしばあります

 その言葉のひとつひとつは決して嘘ではなく、大人を欺こうとしているわけでもありません。本人は本当に悩んでいて、学校に行けない現状だけでなく、これから先のことも悩んでいます。それは低学年の子でも同じで、どの子もみんな心を痛めているのです。

 お父さん、お母さんには、わが子の身に何が起きているのか、その背景を考えてもらい、その子が安心して過ごせる環境を整えてあげてほしいと思います。不登校の原因が学校にあるなら、学校のことを気にしなくて済むように、宿題や教科書を見えないところに置く。子どもはそれだけでもほっとラクになります

「行きたくない」を愛情で受け止めることが子どもの支えになる

 低学年の子であっても学校に行かないことは劣等生であるとか、ダメな存在であると認識するので、不登校によって本人の心はどうしても傷つきます。不登校新聞で僕は15年間、当事者の子どもたちを取材していますが、子どもの世界は見た目以上に残酷で、深刻なこともたくさんあります。そして、学校に行けない理由を大人が理解するのは難しいこともあります。それでも学校に行けないその子に罪があるわけではないし、その子の人生が終わったわけでもありません

 子どもとはいえ、彼らにも 「ノー」を言う権利はあるので、お父さん、お母さんには子どものノーを愛情で受け止めていただきたい。そうしたからといって、その子の人生に悪い影響を及ぼすことはありません。学校に行けない、何かができないというときに、大人が愛情をもって接してくれ、それを受け止めてくれた経験は子どもにとって大きな財産になり、本人が大人になったとき、必ずその子を支えるものになる。僕はそう信じています。

<次ページからの内容>
・ 学校に行きたくないと言われたら、そのとき親は
・ 頭が痛い、吐き気がする。体の声にも耳を傾ける
・ 学校を休む権利は、有給休暇と同じ
・ 共働きでも小学生になら留守番をさせてみよう
・ 不登校の真の解決は、学校に戻すことではない
・ 傷が癒え、学びたいと思ったら、子どもは歩き始める