いや、これは「かわいそう」なんかじゃないと思い返す

大竹 24時間、一緒にいられないからこうしなくちゃというのは特に意識していませんでした。親というのは会っているときだけでなく、それこそ死ぬまで子どものことを気にかけるものではないでしょうか。私も頭の中には常に夕ごはんの献立や明日のお弁当の中身など、細かいことがありましたし、帰宅すると子どもたちが寝るまでの時間に、今日は何があったのか、何を食べて、何をして遊んだのかを聞いて、精一杯子どもたちと関わっていました。あまりに必死で、私の中では90年代の音楽も映画も舞台も、スッポリ抜け落ちています。あの期間は本当に子育ての期間だったんだなぁと、今は思いますね。

 大阪で仕事をしていたときだったと思いますが、携帯電話に子どもからの着信履歴が残っていたことがありました。何だろう、何かあったのかと不安になって休憩時間に急いで電話したら、明日は体育でプールがあるけど、今からお風呂で下着を替えたら洗い物が二枚になるから、今日は替えなくてもいい?という内容で(笑)。私がそこにいれば「替えなさい」と言って終わっていたようなことをわざわざ電話してきたことで、一瞬「あ、かわいそうかな」と思ったけど、いや、これは「かわいそう」なんかじゃないと思い返す。そういうことの繰り返しでした

 子どもは子どもなりに、親は親なりに必死で、だからこそ、なんでもない夕ごはんの後に「じゃあ花火に行こうか」と思い立って出かけたり、どんなに疲れていても「盆踊りに行きたい」と子どもが言い出せば頑張って出かけて、子どもたちの笑顔を見ると、それだけで「行って良かったぁ」という気持ちにもなれました。私の仕事はイレギュラーな仕事だったこともあって、習慣のようなことはなかったけれど、その中で私の母も含め、みんなで協力し合って、精一杯やってきたと思います。

―― こういうことを念頭に置いておくと気が楽になりますよ、というようなアドバイスはありますでしょうか?

大竹 子どもが成長していくと、同時にこちらも親として成長してきます。大変だったことが余裕でできるようになってきたりして、自分も一緒に成長してきたという感覚はありますね。あまり無理はしないで…といっても多少の頑張りがないと成立しないけれど。とにかく、一生懸命愛してあげれば、絶対大丈夫だと思います。それはお子さんにも多分、伝わります。たとえ今は分からなくても、その子たちがお母さんお父さんになったときに分かってくれるかもしれないですよ。

―― 今振り返って、子育てはいいものでしたか?

大竹 もう一度したいなと思えるほど、すごくいいものでした。自分の子育てが高得点をとったとは全く思えないけど(笑)、とにかく幸せな時間をあげたい、自分も幸せになりたいという気持ちの中で一生懸命やっていました。子どもたちが大人になった今、ふと、あのころは必死になりながらもクリスマス会や誕生日会をやったり、プールへ行ったり、旅行したりして、本当に楽しかったねと思い出すことがあります。子育てができたことは、私を本当に人として豊かにしてくれたと思います。

<公演情報>
ミュージカル『にんじん』
8月1日~27日=新橋演舞場、9月1日~10日=大阪松竹座
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/schedule/2017/8/post_316.php

(取材・文/松島まり乃 インタビュー撮影/中田浩資)