被災地へ飛んでいき歌と会話 体験分かち合い

 2011年の東日本大震災の後は、現地に飛んで行きました。「皆さんに会いに行く延長で、お話ししたり歌ったり。ボランティア活動をしている友人や仲間と一緒に行動しました」

 父の曲を歌うとき、大島さんの別れの経験を話します。歌ってさよならではありません。「大事な人を亡くしたからこそ命が、日常が美しいというお話を伝えます。父を亡くした私の歌だから『素直に聞ける』『救われたわ』と言うご遺族もいます。私だからできることがある、と自分への肯定感にもつながりました」

 母を亡くした子どもと話し、地域の人が集まった保育園で歌うこともありました。仮設住宅の集会所、市役所のクリスマスコンサート、県のホールイベントなど数十回は訪問しています。

 震災のときは2歳だった息子が小学生になってから、被災地にも連れて行きました。仮設住宅で出会った人の新しい家が完成して招かれ、泊まりに行ったのです。こうした家族ぐるみの親しい交流もあります。

 「震災後、5年で区切りとなったプロジェクトも多いですが、時間がたって悲しみが増す方もいる。これからだと私は思います。今までと変わらず、現地に行きたい」と大島さんは力を込めます。

 「被災地に行くとつらいけれど、生きることについて考えるきっかけをもらっています。結局は自分が学んで力になっている、大事な場所です」

―― 後編は、父から息子へ命のつながりを感じる子育てや、グリーフサポートのお話です。

■活動の情報は大島花子オフィシャルサイトで http://hanakooshima.com