アメリカ人の夫との出会い。結婚をして人生が楽になった

―― オーストラリアで家族を持ちたいと思われて、帰国後すぐに良い出会いがあったんですか?

中村 いえ、帰国後は友人と会社を立ち上げて、今のように執筆を中心としたFPの仕事を開始しました。お見合いも何回かしてみたんですが、女性で起業していると「このような素晴らしいキャリアの方とはとても…」と敬遠されてしまって(苦笑)。

―― パートナーとの出会いはどこだったのでしょう?

中村 通っているキリスト教の教会です。彼はアメリカ人で、家庭が第一という感覚を持っていました。当時は、男の人が結婚相手に「あなたは働いてもいいよ、でも家のことはちゃんとしてね」と言えば、十分“理解がある”と思われていたんですけど、夫は「自分で会社を立ち上げてやりがいのある仕事をしているあなたのことを尊敬するし、サポートしたい」と言ってくれたんです。

―― 女性が結婚してキャリアを築いていくうえで、夫の意識や家事・育児能力は重要なポイントです。仕事を大切にする中村さんにとって、まさに運命の出会いですね。

中村 出会ってすぐにお互い結婚したいなと思いました。結婚後ももちろん私は仕事を続けましたが、実際彼が家事を半分以上やってくれたので、すごく楽になりましたね。長女が生まれてからも、子育ての大半を彼が引き受けてくれていましたし(笑)。


写真左:国際結婚についても反対をしなかった母。夫の父とも中村さんらの通訳を通じてフレンドリーに接してくれた
写真右:東京で出産後「あなた大丈夫よね」と手伝いにはきてくれなかった母。孫のことはとても可愛がってくれた

長女が10歳のときに養子縁組。「共働き」を理由に、最初は拒否された

―― お嬢さんが10歳のときに、養子縁組をされていますね。きっかけは?

中村 二人目がなかなか授からず、でも、不妊治療という選択肢は私の中にはありませんでした。それで、養子をと思ったんです。もともと結婚前から、いつか養子を迎えられたらいいね、と二人で話していたのですが、積極的だったのは私です。初めてメキシコを訪れたとき、貧しさで教育も受けられず、栄養失調で死んでいく子どもたちがいるのを知って衝撃を受けて。子どもたちのために自分にできることを何かしたいと思っていて、その一つが養子でした。

―― アメリカなどでは養子縁組も盛んに行われていますが、日本ではまだ馴染みがなかったのでは?

中村 そうですね。いつもは放任の母も「自分からそんな苦労を背負わなくても」と心配してくれたし、父は当然反対で。それに、実際に東京都に特別養子縁組のことを問い合わせすると、児童相談所から、「共働きである」ということを理由に難しいと言われたんです。

―― 家にいない時間の多い「共働き」家庭では、養子を育てるのは難しいという解釈なのでしょうか。

中村 都の特別養子縁組は、親が育てられなくて児童保護施設で数カ月から数年過ごした子が対象なので、心に傷を負っているケースが多いんです。なので、つきっきりでみていられる親がいいというのはある意味では理にかなっているんですね。一度は諦めかけましたが、養子を迎えた家族に話を聞いたり、シェルターにいて育てられないけれど産みたいと言っている女性に会ったりして、やっぱり養子が欲しいと思って、再度問い合わせてみたんです。