「助けて!」とちゃんと言えたほうがいい

 承認欲求というのは、自己肯定が必要十分量に達していない! のSOSなわけだから、「助けて!」ってちゃんと言える人のほうが、正解だと思う。

 そしてそれを受け取ることができたら、自分の心に余裕がある時は、何回だってこたえようって思う。

 愛情なんて形がないものだから、嫌なこと一個ですぐこぼれ落ちてしまって。だから何回も「愛してる」って言った方がいいし、行動した方がいいはず。

 私は家族にいつも、今日も愛してるかどうか確認して、明日も愛してるよと言って、言わせて眠る。

 愛されるよりも愛したい、に母親はならなければならない印象がなんとなくあって。

 もっと言うと、子どもが生まれたら女性は母親という生き物にでもなると思い込んでいる人がかなりの割合で存在している。

 必ずしもそうではなくていいと思う。

 自ら望んでそうなるならいいけれど、人にそれを押し付けるのはほぼほぼ人権侵害かと。

どの私も私のものだから、ひとつとして誰にも否定されたくない

子どもが生まれて「ゼロからはじまる新しい自分が一個増えた」っていう感覚でいる
子どもが生まれて「ゼロからはじまる新しい自分が一個増えた」っていう感覚でいる

 私は母親という生き物ではない。

 私は子どもが生まれて、ゼロからはじまる新しい自分が一個増えたっていう感覚でいる。それによって消される自分の人生の積み重ねなんてひとつもない。

 歌手の私がいて、その中でも弾語りの私、バンドの私、音源の私、作家の私、インディーズの時の私、今の私、がいて。

 アイドルのヲタクの私もいて、何にもしたくない私もいて、旦那のことすごく好きですごく好かれていたい私もいて、息子といる私だって、友達みたいに遊ぶ私もいて、強い顔で守ろうとする私もいて。

 そのどれを誰に愛されても嬉しいけど、そのどの私も私のものだから、ひとつとして誰にも否定されたくない。

 だから「○○ちゃんのママ」という人格でしか生きちゃいけないなんておかしい。結婚して出産するまで、何年も生きてきてるんだから。

 だから永久に大事な自分は自分で大事にしたいし、じぶんで大事かどうかわからないときは、可愛い服着てでかけて可愛いって言ってもらったり、好きな絵を描いてネットにアップしてチヤホヤされたり、詐欺でもなんでもいいからかわいい自撮りを撮って拡散されたり、何歳でもガンガンしましょうよ。それをやっかむのもやめませんか。

 肯定されること、救われること、愛されることを誰も恐れないように。