退職して妻と子どもの元へ

── 奥さんは2年間、米国で長男と暮らし、ご自身は日本で復職という覚悟で帰国した、と。

堀込 最初の1週間は、超楽しかったんですよ。育休を取得して主夫になってからは自由時間はゼロでしたから。仕事が終わってからはすべてが自由時間になった。でも、だんだん、ホントに寂しくなってしまって……。スカイプで毎日、当時2歳だった長男の姿を眺めるのですが、まだ喋れないし、ただ遊んでいる姿を見ているだけですからね。子どもに触れることができないというのが、本当に寂しかったです。

 それで、改めて会社の人事規定集を熟読してみると、「配偶者の海外赴任に帯同するための休職制度」というのがあったんです。再び上司に相談したところ、「お前は何を考えているんだ!」と(笑)。2年間の育休を終えてようやく復職したというのに、また休職したいということですからね。

 それでも、「やはり、家族が一番ですから、コレしかないんです!」と話をしたら、納得してくださって、人事に掛け合ってくれました。でも、復職してわずか4カ月後のことですからね。人事の判断は、さすがに「不可」でした。そうなると、会社を辞めるという選択肢しかありません。「じゃあ、辞めます」ということで、会社を辞めて、米国に戻ることにしました。

── そのことを奥さんに伝えたときは、どのような反応でしたか?

堀込 既に、その話はしていて、ダメだったから会社を辞めるということを伝えたら「分かった」と言ってくれました。妻は内心、ホッとしていたと思います。家事も育児も全面的に僕がやっていたのに、突然いなくなったわけですから、本当に大変だったようです。あの時期のことを思い出すと、今でも涙ぐんでしまいますから。本人は涙ぐんだことなんかないって言っていますけど(笑)。

 だって、毎日、仕事をしながら1人で子育てもして、家事もする。向こうでは親戚もいないし、保育園に預けるにも日本語を話せる人もいないわけですから。「自分のせいでこうなっている」という思いがあったようで、「弱音を吐かない」と決めて、必死だったようです。自分が仕事を辞めていればそういうこともなかったんだからと、責任を感じて1人で頑張っていたみたいですね。本人に聞いてみたら、責任を感じていたというより、「自分で選んだことだから、苦労しても当然だと思っていただけ」と言っていましたが。

── 大企業を夫が退職してまで、米国に戻ってきて主夫になるということは、奥さんにとってはどうだったのでしょうか?

堀込 僕が会社を辞めることに反対していた理由はもう一つあります。それは、収入の安定面です。自分は定年制のポストに就くのは難しいから、いつ無職になるのか分からない。だから、自分が僕の代わりに大黒柱になるというのは考えられないと。僕が会社に勤めていれば、それなりに生活は保証されますからね。

 ただ、僕のほうは収入と言いますかお金のことはあまり考えていませんでした。当時は、どうにでもなるだろうといった程度で(笑)。現在、40歳になってみていろいろ焦ることもありますが、当時は分からなかったこともあったのかなあとも思います。