家事・育児・仕事は、男女とも“標準装備”の能力

 たぶん彼の母親は、そういうタイプだったのだろう、と私は邪推する。いいのよいいのよ、ママがやるから、と。きっと世の中には、娘には料理を手伝わせても、息子にはさせない親が大量にいるのではないかと思う。夫の場合は一人暮らしで身につけたようだが。

 しかし今時、ご飯が作れず掃除もできず、洗濯機も使えない人とは、一緒に暮らせない。男だろうと女だろうと、一緒に暮らす相手が家事能力ゼロだったら、まして子育てという共同作業を想定したら、まるで暮らしが成り立たない。身の回りの始末(家事)、助けが必要な人のケア(育児)、生計を維持する力(仕事)、この3つは、男女ともに標準装備として身につけておくべき能力だと思う。場合によっては使わずに済むこともあるかもしれないけど、将来使用人と乳母がいる富豪になるか、お世話がかりをやってくれるパートナーが見つかることを当てにして子育てするのは、あまりに危険な賭けだ。わが子に対して不親切極まりないだろう。

 内閣府の男女共同参画局がやるべきは「女が手間隙かけて作った料理だけが健全な家族を育む」というファンタジーの撲滅キャペーンだろう。だからあれは「おとう飯」じゃなくて、「標準飯」なんです。