ああ、そうだった、わたしはいついつまでこれを作って持ってきなさい、というのがこれ、心の底から苦手だったんだなと、子どもの頃のことをしんみり思いだしていた。家庭科の調理実習も嫌いだった。女子だけエプロンを作らされるのも腹立たしかった。年をとって、そういうものを終えたのか抜け出したのかはわからないけれど、なんとかべつのところにやってきて、それでまた巡り巡って似たような作業の中に、こうして色々なことを思いだすのである。

いつか思い出になってしまう、息子とわたしのかけがえない部分

 でも、自分が子どもの頃とは少し違うところもあって、それはやっぱり、自分のそういう作業や行為にたいして、喜んでくれる息子がいるということだ。いくら下手でも苦手でも、疲れても、やっぱり子どもの笑顔をみると、これだって、ふたりの人生が重なる、小さいけれど本当にかけがえのない部分なのだなーとしんみりしてしまう。

 エグゼイドのお灸帽子。 あれ読んで!じゃあ、あと一回ね! 抱っこ抱っこ抱っこ! もういや、しんどいもん!

 ──こういうことのすべてがいつか必要なくなって、思い出でしかなくなることもわかっているから、このままなんとか駆け抜けられそう。大人になった息子と、あのときはああだった、こうだったって、早く話せる日が来てほしいような、でも来てほしくないような。今日もフレシネを飲んで、そんなことを考えた。

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