今から思うと、やっぱり本っていうのは読みたい人が読むもので、一方的に与えるもんじゃないだろう、みたいな感覚があるのかもしれない。もちろんある種の素晴らしさに誘導するのは大切だけれど、どうもわたしはそのあたりの責任感が弱いみたいだ。

 あと、家に本があって親が本好きなら自然に子どももそうなる、みたいなこともよく言われるんだけれど、そうじゃなく育った子どもたちをわたしは山盛りいっぱい知っている。環境も大事だけれど、本を読む子は家に本があろうとなかろうと、勝手に読むようになるんだと思う。息子が「本を読んで」と言ってきたら何回かは読むけれど、疲れたらちゃんと「疲れたー」と言うようにしている。早くひらがなと漢字を読めるようになって、それでかあかにも読んでください、みたいなことを言っています。

手作り飾りの帽子に、…こんな大きな差が!

 言うまでもなく、子どもの社会において母親の出番というか役回りはものすごく多くて、数カ月前のこと、息子の幼稚園でイースターのパレードをするという。つきましては、なんでもいいので飾りのついた帽子をひとつ作ってきてくれと。飾りって、なんでもいいんですか? いいですいいです、たのしいアイデアで面白いの作ってきてね、みたいな感じだったので、わたしはすごく適当に考えていた。

 保育園のときの体育の帽子に、息子が好きな仮面ライダーエグゼイドの切り抜きを貼って、エグゼイド帽子にすればいいね、ぐらいに思っていたのだ。で、前日の夜、予定どおり黄色の帽子に切り抜きを貼って、それだけだと淋しいから使用済みの金色のお灸をデコレーションして、ちょっとラッパー風? な感じで自分としては満足の出来に。

 それでよかったはずなんだけれど、ちょっとした胸騒ぎがして、なんとなく、いわゆる数人のママ友たちに「帽子、どんな感じですか~?」とグループラインをしてみたのだ。「うちはエグゼイドです、もーマジで適当です(*^^*)」みたいな感じで。

 そしたら「うちも適当でーす、いま完成しました~(*^^*)」「うちはこんな感じでーす」みたいに送られてきたのが……いやいやいやいや、これなに?って目が点になるくらいの完成度の、花とかたまごとか明るいデコレーションが山盛り&ファンタジーに満ちたものすんごい手のかかった帽子の写真が送られてきて、iPhoneを持つ手は震え、わたしは驚きのあまり絶句してしまった、白目になって夫に見せると、夫も白目になるだけでどうにもならない。