自分がいったいどんな性格で、どういう人間なのか── 十代の頃、あるいはせいぜい二十代の初め頃にはそれなりに興味もあったかもしれないけれど、そんなことに何の関心もなくなって早十数年、日々を送るのに必死の毎日だ。けれど、子どもを育てていると、どうでもよくなったはずの自分の性格や傾向をときどき思い知らされることも多々あって、そうか……とふと考えこんでしまうこともある。今日もフレシネを飲みながら、そんなことを考えた。
社会的な出番に、いつも冷や汗が止まらない
自分の仕事なら、いつまでもちくちく時間をかけて、何時間でも原稿に向かっていられるのだけれども、家事全般に興味がないまま結婚し、子どもを産んで親になったので、この数年間は大変だった。それでもなんとか学習して、這い這いの体で家事と育児の基本を押さえてここまできたけど、子が大きくなるにつれ、今度は社会的なあれやこれやに駆り出されることも多く、いつまでも冷汗が止まらない。
「親がふたりとも作家だから、やっぱり読み聞かせとかすごいんですか?」
という質問をものすごくよくされるけれど、じつは、わたしは読み聞かせが大嫌い。赤ん坊の頃も教育にいいというのでなんとなくしたほうがいいのかな、と思いながら絵本を手に取ると、だんだん憂鬱な気分になってくるのである。そう、食事と読み聞かせって、なーんか親の愛情のバロメーターみたいなところがあって、試されている感じがいつもしていた。とくに読書と知性の関係のプレッシャーには目をみはるものがあって、3歳までにどれだけ読み聞かせたかですべてが決まる!みたいなものすごい雰囲気があった。
まあ、本は悪いものじゃなし、ときどき読み聞かせたりしたんだけれど、いつもじりじり落ち着かない。