4枚のイラストで振り返る 自分の人生・大切な人への思い

A3の紙を4等分して当時の趣味や夢、キャリアなど自分を表す象徴的な出来事を4つの絵に描いていく
A3の紙を4等分して当時の趣味や夢、キャリアなど自分を表す象徴的な出来事を4つの絵に描いていく

 西口さんからの熱いメッセージを受けて、「一日一日を大切に。今ある状況の中で、家族と共に前向きな一歩を歩んでいきたい」と思いを同じくする参加者たち。

 その後、これまでの人生の中から自分を表す象徴的なことを4つのシーンに分け、それぞれの場面を4つの絵で描くというワークを行い、3人1組に分かれて互いに自由に思いを語り合った。

 「これは、思いの丈を絵に込めるという楽しいワークです。いつも、子どもに絵が下手だなとか言っていますが、自分の絵がどんなにひどいか分かる機会だと思います(笑)。3人1組になって、1人が発表したものを2人が聞いて、どう感じたかをフィードバック。それを1人1回ずつ行います。皆さんがどういう感情だったのか、どう考えたのかを共有してください」と、西口さんはユーモアを交えながら、参加者たちの心をほぐしていく。

 小学校のころ、高校のころ、社会人のころ……時間軸は人それぞれ。当事者は当事者同士、当事者の家族は家族同士というように、より近しい存在同士で交流できるようにチームに分かれ、自分の半生を振り返った。

3人1組のチームは当事者と家族のチームに分かれる。当事者は当事者の視点から、家族は家族の視点からお互いに共感しながら、発表に耳を傾ける
3人1組のチームは当事者と家族のチームに分かれる。当事者は当事者の視点から、家族は家族の視点からお互いに共感しながら、発表に耳を傾ける

 社会人になってから、1カ月間東南アジアを旅した経験、お笑いにはまって全国公演を見に行った思い出、嫁いで名古屋で大家族を持った経験、それぞれのパートナーとの出会い、当時持っていた夢、趣味の釣りの話……4枚の絵に描いたそれぞれのマイストーリーを振り返りながら、話はがんについても触れていく。

 親として最も心を砕くことの一つが、子どもへの精神面の影響。子どもに病気の事実をどこまで伝えるかに、正解はない。子どもに伝えた人、まだ伝えていない人、お互いの選択を尊重しながら、その思いに共感したり経験談を参考にしたりしていた。

 子どもへ伝えるかどうかはすごく迷いました。でも、後で話しておけば良かったと後悔するのは嫌だった。自分のことも考えて、子どものことも考えたうえで、「なぜ、あのとき話してくれなかったの?」となるのが一番嫌だったんです。

「3人の子どもそれぞれに病気のことを正直に話しました。でも、同じ母として親の気持ちを考えると、実母には直接伝えられませんでした」
「3人の子どもそれぞれに病気のことを正直に話しました。でも、同じ母として親の気持ちを考えると、実母には直接伝えられませんでした」

 まず当時小学5年生の娘には、向き合って話をしました。真ん中の子は当時1年生で理解してくれているかは微妙でしたが、1人ずつに正直に話しましたね。当時2歳だった子へは『ママ、病気なんだ』と分かりやすく、『だから、がんばるから応援してね』と伝えました。実は、私は自分の母に直接病気のことを言えなかったんです。肺腺がんという診断を受けた後、主人にも電話しなければいけないし、病院の先生が説明したいからと姉に電話して事情を説明すると、すぐに来てくれました。でも、同じ母として、娘のがんを聞いたときの親の気持ちが痛いほど分かり、実母に私の口からは言えなかったですね。

 長女には本当にたくさん助けてもらっています。長女へは「肺の中にあるがんというものが悪さをして、それがうつったりということはないんだけど、治療がすごくつらいものだから心配させちゃうかもしれない。でも応援してね。おうちのこと、頼んだよ」とか、そういった話をしました。

 当時10歳だった娘の第一声は「治るの?」。それに私はすぐ答えられなくて……「治るよ」って答えたけれど、重い会話でしたね。治したいという気持ちはあるけれど、「がんばるよ」としか言えなくて。どうしようかと思いました。でも話してよかった。母である私の命について聞いてもらって、自分の命を大切にしなければいけないなと間近で見てもらえたらと思うので、プラスにはなったと思います。普通に生活してきて、たぶんここにいる皆さんそうだと思うんですが、「まさかこんなふうになるなんて」と思いました。けれど、がんにならなければこうやって出会うこともなかった人もいる。だから、いいこともあると思っています。(中1、小3、年少の母、肺腺がん)

 一般的に、死の概念が分かるのが10歳くらいと言われているんです。上の子が7歳ですが、まだ認知が微妙なんですよね。僕の父親は健在なんですが、僕は18歳、妹は15歳のときに父親ががんになりました。そのとき、親から告知されること自体に僕は苦ではありませんでした。ただ、7歳の子にとって、“死”ってゲームやアニメでしかまだ知らない年なので、僕の中でうまく伝えられる気がしないんです。上の子はそろそろ分かってきてもいい年ごろに向かうので、そこはまだ解決していない部分です。僕のがんは、2016年6月に分かりました。まず妻と親に話し、親は泣きましたね。年末に転移が分かり先生からは『治らない』と告げられて、それから銀行口座の整理をしました。

 最初、感情の起伏はもちろんあったんですが、転移が見つかってからはほとんど悩まなくなりました。精神科医のエリザベス・キューブラー=ロスが提唱している「死の受容」プロセスでは、第1段階は「否認と孤立」、第2段階は「怒り」、第3段階は「取り引き」、第4段階は「抑うつ」、第5段階は「受容」と言われている。大体それに近いプロセスを、僕もたどりました。(7歳、5歳の父、小腸がん)