おむつから寝かしつけまですべてやった

――お子さんについては非常にかわいがっていて、イクメンだと話題にもなりました。

マック そうですね。誠希千が生まれたときは、幸か不幸か仕事があまりなかったので(苦笑)、かなり面倒をみましたね。おむつ替えもミルクも、お風呂も寝かしつけも全部やりました。妻が泊まりで仕事に行っても、全く問題なかったです。

 ただ最近はありがたいことにメジャーリーグの解説や地方での講演会など、僕も忙しくなってきて、昨年生まれた次男の誠八(せいはち)については誠希千ほどかまってあげられていないですね。どうしても妻が赤ちゃんにかかりきりになる中、お兄ちゃんをほったらかしにできないという思いもあります。

 でも、常々お母さんというのはすごいと思いますね。次男がわーって泣いて、長男がなかなか寝付けなくて、「もうどうしたらええねん」というような状況を毎日戦っているわけでしょう。妻はこの春から仕事も再開して大変なのに、僕に対しても色々気を遣ってくれる。僕自身、短気なところもありますし、いちいち口にしなくても分かるだろうという古い気質の人間です。でもそういうところも受け入れてくれる、素晴らしい女性だなと思いますね。

――とても雰囲気の良いご家庭だということが伝わってきます。そんなマックさんは、元々どんな家庭で育ったのでしょうか。やはり子どもの頃から運動は得意だったのですか?

マック 父は自営業だったので、わりと子どもと接する時間があったんです。海とか山とか、旅行にも色々連れていってもらいました。父も運動神経がよかったので、なんでも上手にできるんです。キャッチボールや水泳も得意でした。山遊びや川遊びなど、一緒に遊ぶ中で、僕にとってもいい見本になったというのはあると思います。

 スポーツは、5歳から空手を、8歳から野球を始めました。それから水泳も始めて、子どものころは三つやっていましたね。父との外遊びを含め、様々なスポーツの動きを学んだことが、先々野球をやっていく上での下地になったと思います。

――やはり、小さな頃から「エースで4番」だったのですか?

マック そうですね。正直「どう考えても俺がズバ抜けているな」と思っていました(笑)。中学ではボーイズリーグのチームに入って、そこでもエースで4番。高校は神戸の野球名門校に進学しましたが、校外で暴行事件を起こしてしまって、自主退学に。もう僕の野球人生は終わったと思いましたね。

 でも、ボーイズリーグ時代の監督がつてをたどってくれて、アメリカのマイナーリーグ(メジャーリーグの下部組織)のチームに「球団職員兼練習生」として置いてもらえることになったんです。