わが家の“夫婦暗黒時代”

 まずは、自己紹介がてら、私の半生をご紹介しましょう。大学院卒業後、高校の同級生の夫と結婚した私は、長男出産後に勤めていた学校法人を辞めました。その後、夫の転勤や留学で日本とアメリカを数年ごとに行ったり来たりしながら子育てをし、三男出産後にフリーランスのセミナー講師として社会復帰しました。

 3人の子どもを育てながらの仕事と家庭の両立は至難の業です。私の社会復帰から10年。DUAL読者の皆さんと同じように綱渡りのような日々を送ってきました。

 復帰当時、私たち夫婦はまだ30代半ばでした。夫は仕事も大変な時期で、子育て面では頼りにできず、お互いの実家も遠方で、八方塞がり。専業主婦時代に確立された揺るぎない役割分業体制はしっかりキープされ、家事も育児も「完全ワンオペ体制」でのスタートでした。

 九州男児の夫とは家事・育児分担をめぐってバトルの毎日。けんかのたびに皿が割れ、私も家出し、彼も家出し、目も合わせない、口もきかない冷戦状態が続いたと思ったら、今度は二人で涙を流しながら怒鳴り合う。いつもお互いピリピリしていて、みじんも優しくできない。まさしく私たち夫婦にとって「暗黒時代」でした。

 家事・育児の負担が重く、時間を確保できずに仕事を増やしたくても増やせないという悪循環に陥っていた私は、生協やネットスーパーを活用したり、民間の託児所を利用したり、近所のママ友に協力してもらったり、試行錯誤を繰り返しました。育児と仕事の両立でスケジュールはギチギチの毎日。子どもたちにも優しくできず、自己嫌悪に陥ってしまいました。

 今思えば、もっと夫に頼ればよかったのですが、「なんで私から頭を下げないといけないのよ!」といった変なプライドが邪魔して相談もできず。何より、私自身いっぱいいっぱいの毎日で、夫と交渉する余力などありませんでした。

 でも、どんなに周囲の協力を得てもアウトソーシングをしても、そのすべてを手配しているのは私。結局、私一人のワンオペからは抜け出せていない。忙しくしている私を見て夫は「もっと手伝うよ」と言ってくれるようになったけれど、多分彼自身もどう手伝ったらいいのか分かっておらず、夫婦も家族もバラバラになっていることに気がつきました。

 そこで、多少のバトルは覚悟して、夫がまるっと担当できる家事項目を一つずつ手渡すことにしました。これまで私が主担当だった家事項目を一つ、また一つと小出しに夫に移行。次第に夫が主担当の家事項目が増え、夫自身も経験値が上がったおかげか家事・育児に対するストレスも減り、主体的に楽しんで参画できるようになっていきました。お互いの負担を減らすために、アウトソーシングや周囲との連携体制もそのまま継続したのも功を奏したのだと思います。

 こうして、夫や私、そして子どもたち自身も少しずつ成長し、みんなが戦力として参画することで“マルオペ体制”を構築。時間はかかりましたが、ようやく夫や子どもたちだけでなく、私自身も笑顔でいられる「チームわが家」ができたのです。