パソナテック女性初の執行役員に抜擢され、同時に社外でもAIビジネスのベンチャー企業を立ち上げたという粟生万琴さん。名古屋にある自宅と東京を数日ごとに行き来しながら、小学校3年生になる息子さんを育てています。

 『粟生万琴 「巻き込み力」は幼少期から育まれた』に続き、今回は「人と違うことをしなさい」という両親の教えを基に歩んできた道のり、たくさんの人を巻き込んで成り立っているというご自身の子育て、そしてこれから進もうとしている未来について聞きました。

「人と違うことをする」 中学生のとき出合ったITに夢中に

日経DUAL編集部(以下、――) 前回、お父様から、「人と違うことをしなさい」と言われて育ったのが、今の仕事に生きているとおっしゃっていました。ITの世界に興味を持ったのはいつごろからですか?

粟生万琴さん(以下、敬称略)  ITとの最初の出合いは中学生のときでした。地元の国立中学に通っていて、学校がダンスとプログラミングという当時では珍しい授業を取り入れていたんです。

―― 新しいカリキュラムを取り入れる学校だったんですね。

粟生 教育実験校でしたから、“はんだ付け”という金属同士を接合する作業をしてからプログラミングをする、という電子工作の授業があったりすごく面白かったんです。当時はまだコンピューターを使った授業があまりなかったので。人がやっていないことを勉強するのは楽しかったですね。

―― 授業で学んだことを基に、家庭の中でもプログラミングを実践したのだとか。

粟生 実家は共働きで外食が多かったので、母が「エンゲル係数が高い!」って言っていました(笑)。それを聞いて、エンゲル係数を計算するプログラムを作ってみたんです。今思うとごく簡単な数式なのですが、学校でも高い評価を受け、両親にも喜んでもらえました。

―― それがきっかけでITに興味を持ったんですね。