SEから人材会社のエリア責任者に。人生を愛する働き方を選んだ

―― パートナーの転職をきっかけに、ご自身のキャリアも見つめ直した、と。

粟生 そうですね。夫は当時勤めていた会社でアメリカに行くか、辞めるかという2つの選択肢のどちらかを選ばなければならず、長く働ける日本の企業をしっかり探すということで、辞めて転職活動をすることになったんです。私は実は、結婚を機に会社を辞めていて、派遣社員として働いていたんですね。親の反対を押し切って結婚したこともあって、実家へ頻繁に帰って親孝行をするつもりで。のんびりしたかったし、派遣の働き方は私にすごく合っていたんです。でも夫の状況を見て、自分も家計を支えられるようにならなければと、転職活動をすることにしました。

―― SEとしてそれまで約6年のキャリアがありましたが、別業種の人材サービスの会社であるパソナテックで、マネージメントに関わったり新規事業立ち上げをするという仕事にシフトチェンジされたのはどうしてですか?

粟生 SEは楽しかったけれど、激務で残業も多くて。結婚して派遣社員になってみたら、すごく自由度が高い。ライフイベントやライフスタイルに応じて自分で働き方を選べたら、長く働き続けられますよね。これは最高だなと思ったんです。この体験を生かして新しい働き方を提案できるようなことができたら、と思っていたところ、転職エージェントの担当者にパソナテックを勧められたんです。

―― SEから人材サービスの会社の営業職に、というのは大きな転換ですね。

粟生 未経験だし、私にはできない!と最初は思ったんですが、そんな私を採用してくれて、しかも名古屋支部の立ち上げを自分の裁量でやっていいよと言ってくれたことにはすごく感謝しています。結果、自分のやりたいことが実現できるようになりました。パソナテックに入ってから本当に仕事がずっとすごく楽しいんです! 結局、私は自分が幸せに生きるために働くという生き方に惹かれているんだと思います。そして、パソナグループは誰もが自由に好きな仕事を選択し、一人ひとりの人生設計に合わせた働き方ができる社会を築くことを使命にしていました。ここに共感できたのが大きかったですね。

仕事も生活も、やりたい!と思ったら、人を巻き込むのが私流

―― 出産、復帰を経て、Job-Hubというプラットフォームを立ち上げました。さらには他社での新規事業も立ち上げて…素晴らしいバイタリティーに圧倒されますが、一つ一つ振り返ると、どんなふうに夢を実現されてきたのでしょうか?

粟生 エクサインテリジェンスのほうは、DeNA元会長の春田真との出会いがあって、一緒に未来のAI事業のためにやってみたい、と思ったからなんですが、昔から、やりたいなと思ったら、とにかく周囲の人に話すことにしていますね。そうすると経験のある先輩たちが、実現の方法を教えてくれて助けていただける。自分一人では何もできないから、人を巻き込んでやっていく、という方法です。

 でもいざやれるというステージになるといつもドーンと落ち込むんです。夫はそれを見て、「いつものサイクルだね」って冷静に言います。やるしかないというところまで自分を追い込むのが君のやり方だねって(笑)。

―― やりたいことは周囲に積極的に話して協力を得て、その思いに応えるためにも、また頑張れるのですね。

粟生 夫だけではなく、本当に様々な方に支えてもらっています。夫の両親にもすごく感謝していて。うちは義理の両親との同居も含め、結婚後、4回引っ越しをしてるんです。家族の状況に応じて、一番気持ちよく過ごせて働きやすい場所に引っ越す。そこが一番のこだわりと言っていいほど、私たちが自分たちの暮らしの中で投資しているポイントですね。