親戚の影響を受けIT業界へ プログラミングのエキスパートとして就職

―― 大学は、工業大学へ進まれたのですよね。

粟生 そうですね。東京に年上のいとこがたくさんいて、IT関連の仕事に携わる親戚が多かったんです。中高生のころ、アメリカのファッションやロックに憧れもあって、いとこの一人がシリコンバレーに移住したこともあり、「アメリカといえば、ITだ! 私もITや英語を頑張ろう!」と思ったんですよね。それで理系を進学先に選んだというのはあります。

―― 大学ではどんなことに力を入れていましたか?

粟生 大学院の研究室で企業との共同研究を行っていたんです。当時はコンピューターのセットアップができる人材も少なくて、そういうバイトをしたりだとか、国際展示場で携帯やPHSのデータ通信のデモンストレーションをしたりだとか。ITが分かる女子は少なかったので、周りの友達に声をかけてアルバイトを忙しくしていましたね。

―― そこからご縁があって、就職を決めたんですね。

粟生 そうですね。父の事業を継ぐという選択肢もあったんですが、ITの仕事が楽しくて、IT業界へ就職しました。でも当時のアルバイト先が、実はパソナグループの子会社だったんです。今思えば、そのころのご縁もあって、のちにパソナテックに転職するきっかけになったのかなとも思います。

結婚直後に夫が転職! 働き方を考え直すターニングポイントに

―― 家業を継いでほしいというご両親を、どのように説得したんですか?

粟生 実は私、大学3年生くらいから家業を継ぐためにお見合いをしてて。商売が特殊なので、建築土木学科を出ていらっしゃる方とか、税理士さんとかに会わせてもらって、いい人がいたら結婚して跡を継いでもいいかなと思っていたんですよ! 

 でも結局、なかなかうまくいかなくて。その後就職もして、当時付き合っていた今の夫と結婚することになったんです。父もそのあたりからもう帰ってきて家を継ぐというのはないんだなって、思ってたみたいです。結婚も最初は反対されてましたけど、父も夫のことを見て、彼ならいいじゃないかって、言ってくれて。夫は外資系企業に勤める普通のサラリーマンだったんですけど。

家業を継いでほしいという思いもあった粟生さんの父。その思いに応え、20代にはお見合いも複数経験
家業を継いでほしいという思いもあった粟生さんの父。その思いに応え、20代にはお見合いも複数経験

―― お父様も認めてくださったんですね。結婚と同じ年に粟生さんもパソナテックに転職をしていますが、それは何か理由があったんですか?

粟生 実は、結婚直後に夫が急きょ転職することになったんです。それがきっかけですね。