きっかけは、自殺の連鎖の問題をどうするか

 その後、スピーチをしたのは、同プロジェクトの設立に尽力してきた日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎キャプテン。プロジェクトのスタート時からの10年間を振り返った。

 きっかけは2006年当時、東京都知事だった石原慎太郎さんらと共に、パネルディスカッションを行ったことだったという。

 「ちょうどそのころ、いじめや、いじめを苦にした子どもの自殺の連鎖などが社会問題になっていました。これらを解消するために大人はどうすればいいのか、といった話をパネラーの方々としました」(川淵キャプテン)

 パネルディスカッションを終えたところで、ふと考えが浮かんだと川淵キャプテンは振り返る。

 「日本サッカー協会の理念は、『サッカーを通して豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する』。体の面では年間何万人もの子どもたちにサッカーを教えるなどしていますが、“心の問題”として、正義感や倫理観、人を思いやる気持ちなどを教えていなかった」

 この問題に立ち向かうため、何かできないかということで設立したのが、「JFAこころのプロジェクト」だ。当時、日本サッカー協会の広報部長だった手嶋秀人さんに「企画・立案してみてくれ」と指示したのが、2006年2月のことだった。

夢先生と子どもたちの一期一会

 しかし、同プロジェクトの推進室が設立されても、川淵キャプテンや手嶋さんをはじめとする関係者はアイデア不足に苦しんでいた。児童心理学の専門家に加え、同プロジェクトに共鳴する電通社員も加わって知恵を絞った。が、これといったものが見つからない。半年が過ぎようとしていたところ、転機が訪れた。

 「サッカー協会のキャッチフレーズは『夢があるから強くなる』です。そこで、当時、日本サッカー協会の専務理事だった田嶋幸三会長が、『夢をキーワードに考えたらどうか』という提案をしてくれた。そこから一気呵成にこころのプロジェクト、夢の教室が進んでいきました」(川淵キャプテン)

 当初、元Jリーガーをはじめ、日本サッカー協会のスタッフなどの個人的なつながりでアスリートがユメセンを務めていたが、スポーツ界を挙げての取り組みにしたいと考えていた。2011年の東日本大震災を機に、今こそスポーツ界が結束して取り組むべきだとして、川淵キャプテンが日本体育協会の会長に就任予定だった張富士夫さんに呼びかけて、日本体育協会主導の復興支援として「スポーツこころのプロジェクト」が発足した。これ以降、JFAこころのプロジェクトがサッカー界のみならず、スポーツ界全体の活動としてさらに浸透していくことになった。

 「10周年を迎えてみると、私が考えていたよりもはるかに子どもたちに与える影響は大きかった。子どもたちの真剣なまなざしに応える本気の授業だからこそ、子どもたちも私語を交わすことがほとんどない。“一期一会”という言葉がありますが、真剣に夢先生の話に耳を傾け、感動して大きな夢に向かって進んでいこうという子どもたちが100人に1人でも、1000人に1人でも出てくれば、それだけで価値がある。それがつながっていけば、日本の未来は明るくなるのではないかと思います」(川淵キャプテン)

 スピーチを終えた川淵キャプテンは、こう続けた。

 「今は年間、二千数百回の授業ですが、3000回を目指しています。夢先生に期待したいのは、初心を忘れず、常に一期一会という姿勢で務めてほしい。何でも真剣に取り組む姿勢を見せる。それが、夢先生のすべてです。だから、私は、夢トークを聞いていつも涙が出てしまう。トライ&エラーでやっていけるといいですね」

夢に向かう努力は、成長の糧になる

 川淵キャプテンからの指示を受け、「JFAこころのプロジェクト推進室」室長として陣頭指揮を執ってきた手嶋秀人さんは、当時をこう振り返る。

 「夢をテーマにしようと決まってからは、夢を語る夢先生のトークの内容をはじめ、カリキュラム全体の構築が一気に進みました。とはいえ、夢をテーマとしたカリキュラムの中に、何を盛り込んでいくかということで試行錯誤を繰り返しました。夢先生がただ、夢について語るというだけでは、非常に陳腐なものになる。そこで、語る夢の中身をどうしていくかが大事であると考えました

 当初は道徳教育のようなカリキュラムを作ろうとしたが、何かが違う。学校教育とは別の切り口でアプローチできるようなカリキュラムにしようと行き着いたのが、夢の教室だった。

 夢を持っている子どもたちは、いじめはしないだろうし、何ごとにも動じない。だからこそ、夢を持つことや夢に向かって努力すること、さらに、仲間と一緒に取り組むことの大切さを伝えるカリキュラムが出来上がっていった。

 「子どもたちが夢を持つことで、前向きに生きていけます。夢の教室に参加した子どもの9割くらいは、もしかしたら夢をかなえることはできないかもしれません。夢がかなうことはまれなことです。それでも、夢に向かって努力することによって、その子どもは強くなれる。“成長の糧”になると考えています」(手嶋さん)

 手嶋さんの言う「成長の糧」というのは、子どもの「生きる力」と言い換えてもいいだろう。