「おまえ、それはハンドボールする手やぞ」

 ヒデちゃんにとっての大きな転機。それは、ハンドボールとの出会いだった。

 高校1年生のとき、既に身長182センチメートル。校内を歩いていると、スキンヘッドのコワモテの男性が遠くから「おい、おまえ、ちょっと来てみい!」と、声をかけてくる。「おまえ、ちょっと手ぇ、見せてみい」と言うので見せると、「おい、おまえ、それはハンドボールする手やぞ! 1回でいいから、練習見に来い!」と言う。ハンドボール部顧問の先生だった。

 「野球も全然ダメやったんで、スポーツはもう諦めたんです」と言うも、「ええから1回だけ練習見に来いや」と言って、先生は去っていった。

 後日、誘いを断ろうと学生服のまま練習場に向かうと、先生に「制服のままでええから、ジャンプシュート打ってみ」と言う。ハンドボールなんて1回もやったことはなかったが、見よう見まねでやってみる。すると、ゴールにズバっと突き刺さった。先輩たちからは、「なんや? アレ? スゴいな」などと、どよめきが起こった。

 ハンドボールなんて、始める気などなかった。しかし、あのジャンプシュートを打ったときの感覚が頭から離れず、手に汗を握ってドキドキしている自分がいた。「オレがもし、試合でジャンプシュートを決めたらどうなるんだろう? いや、オレはスポーツは嫌いになってしもうたやん……」。そんな葛藤が1週間くらい続いた。

 「ハンドボールで試合に出た自分を想像したり、もっと練習してうまくなったらどうなるんだろう、とか。もう、ワクワクが止まらなくなって、10日後には『入部します!』と言っていました(笑)。それが、ハンドボールとの出会いです。そんな、ワクワクが止まらない経験をした人いる?

 なぜ、ヒデちゃんは、あんなスゴいジャンプシュートが打てたのか。それは、野球とハンドボールには“投げる”という共通点があったからだと語りかける。

 「たぶん、野球でちゃんと努力をしてこなかったら、あんな強烈なジャンプシュートを最初から打てなかったと思う。だけど、野球でずっと努力していたからね。投げるという共通点があったから、うまくシュートが打てた。全部がつながっているということ。中学3年生まで、野球はうまくいかんかったけど、ハンドボールで生かされたということ。『努力はムダじゃなかった』ということ。ヒデちゃんが、今、みんなに言いたいことです!」

ガラスのハートを割られても、コツコツと向かっていくのが夢

 入部した永島さんは、高校3年生になると、県内の大会で優勝。全国大会でベスト8となった。強豪と戦ううちに「あれ? オレ、もっと努力すれば、日本一になれるんちゃうかな?」と思うようになった。ワクワクして始めたハンドボールが面白くてしょうがない。

 大学生になると、ついに日本一となった。大学卒業後はもっと上のレベルで頑張ろうと思い、社会人のチームでプレー後、移籍してプロ選手となった。

 「ハンドボールを始めたときは世界選手権とかオリンピック出場は夢ではありませんでした。なぜなら、知らない世界だったから。でも、階段を一段一段、上っていくと、『あれ? 日本一になれるんちゃうかな?』と思って、大学生のときに日本一になった。さらに、『もっと上に行きたいな』と思って、今度は世界選手権に出てみたいとか。それが夢に変わっていった」

 「しんどいこともいっぱいあるけど、面白い。だから、しんどいこともコツコツ、毎日、毎日やった。階段を一歩一歩上っていって知らない世界を知ると、『面白い!』とか、『ワクワクする!』『オレにもできるんじゃないか?』となる。それを続けていくことが、夢なんだと思います

 グッと大きく上昇する夢曲線を描きながら、永島さんは、夢に向かって苦しいこと、つらいことを乗り越えていくことが大事だと語りかけた。

 「ガラスのハートをバリンバリンと割られながらもコツコツと向かっていくのが、夢なんだ、と。目の前のことから逃げていたら、夢は絶対につかめません。ヒデちゃんの夢は一貫していなかったけれど、目の前のことをコツコツと頑張ってきた。そうすると、ガラスのハートがいっぱい、増えていった」

 練習をサボりたいと思った当時の、正直な心の内もさらけ出す。

 「正直に言うで。『はぁ~、今日はもう、練習しんどいなぁ』ということがいっぱいあった。今日も体がキツいから練習サボろうかな、なんて思ってしまうわけ。でも、『ここでサボったら、絶対にうまくなれへん。よし、頑張るんだ!』と思い直して、また走り出す。その積み重ねでやってきた。『もう、しんどいからやーめよ!』とやったら、絶対にハンドボール選手にはなれなかった」