「あなたとは合わない」と背を向けて歩き続けたからこそ、出会える関係もある

―― ところで、4月に刊行された最新作の書き下ろし小説「ホライズン」は、パースが舞台になっていますね。ご自分自身のことも書いているのでしょうか?

小島 母は駐在員の妻でオーストラリアで1970年代に私を出産し、3歳になるまでパースで子育てしたんです。当時としては高齢の35歳で出産。しかも海外で子育てをしてしんどかったんだろうな、と思うし、「日本に帰りたかったのよ」という話をよく聞かされていました。でも、さっきの「体験してみないと分からない」という話ではないですが、パースに息子たちを連れて来たときに、ああ、彼女が見ていた風景はこれだったのかと初めて母の気持ちを想像しました。日本にいてアルバムを見ているだけでは分からなかったことを感じましたね。

こっそり紹介!『ホライズン』の世界

『ホライズン』(文藝春秋社)あらすじ
 主人公の真知子は夫とともにオーストラリアに移住し、娘を出産して新しい生活をスタートしたが、友達もいなくて孤独だった。ある時から、現地の日本人のコミュニティーに関わるようになり、個性も属性も全く異なる3人の女性と出会う。投資銀行に勤める夫を持つ郁子、商社マンの妻・宏美、現地の日本人シェフと子連れ再婚した弓子。4人ははじめは当たり障りのない付き合いをしていたが、日本人コミュニティーのバザーでのアクシデントをきっかけに、関係が変わっていく。4人それぞれの生き方を通して、夫婦や母娘、友人との関わりのしんどさと幸せを描く長編

主な登場人物
真知子
海外企業に勤める夫と渡豪して、まもなく生まれた娘と3人で暮らしている。短大卒であること、母が自分より弟をかわいがっていたこと、「親友」と呼べる人に巡り合えないこと、流産を繰り返したこと、英語ができないことなど、様々なコンプレックスを抱えている。藻の研究に熱心な夫がどこか人の気持ちに頓着しないところを、もどかしく思っている

宏美
シングルマザー家庭に育ち、名の通った大学を出て、総合職に就き、上昇志向が強かったが、夫の海外赴任に付いてくるために仕事を辞めて渡豪。人付き合いが上手で、日本人会の中でもうまく立ち回っているが、閉鎖的なコミュニティーから一歩抜け出るために地元の大学の講座に通う。夫は子どもを欲しがっているが、自分自身は子どもを産みたいと思っていない。

弓子
田舎の実家では父から、最初の結婚では夫からDVを受ける。離婚後、子どもを連れて訪れたオーストラリアで今の夫と出会う。夫はオーナーシェフで現地で大人気のレストランを経営、そのことで自分も格が上がったように感じている

郁子
他の3人より少し世代が上で、投資銀行に勤める夫を持つ。いわゆる‘駐妻’ヒエラルキーの比較的高いところにいる。人の話を聞かない、自由奔放な性格。若いころに今の夫と駆け落ち同然で結婚し、実家からは勘当されている。

小島 「ホライズン」の冒頭では、主人公の真知子がお墓に行くと、死んだ人たちのざわざわ楽しそうな気配が聞こえた、というエピソードが出てきますが、実はこれは母の話なんです。それだけを聞くと、「ええ?この人、大丈夫?」って思うかもしれないけど、それだけ母の孤独が深かったのだろうと、自分がパースで暮らすようになって分かりました。そんな母のエピソードもモチーフとしては登場させていますが、この本は母と私のストーリーではありません

―― 駐在員の妻だったり、現地で働くことを決心した夫を持つ妻たちが、世代も、子どもがいるいないもそれぞれで、4人登場しますね。

小島 その中で、真知子という登場人物は、‘駐妻’のコミュニティーになじみきれず、日本での生い立ちは、育った家でも、学校でも、職場でも、いつもマイノリティ。いつも自分の居場所がないと孤独感を抱えていた人です。結婚して言葉が通じない異国に来て、夫婦関係もなんだかトンチンカン。それでもいつかどこかに‘ホーム’と呼べる場所があるんじゃないか、と諦めないのが真知子なんです。

 真知子は、強気な弓子とは性格が合わず、子どもがない宏美とは真知子からの一方的な思慕だけのような関係。駐妻ヒエラルキーの上の方にいる郁子は、年も離れているし違う世界の人です。誰といてもしっくりこない真知子ですが、それでも、水平線(ホライズン)をじっと見つめて、どこかにホームがあるはず、と諦めないんですよね。そこがこの本の大きなテーマでもあります。

―― 水平線のかなたに、もっと私がしっくりくる理想の場所があるんじゃないかと、誰もが思いがちな部分ですね。

小島 だけど、人生って「青い鳥」のようなハッピーエンドのストーリーでもありませんよね。希望は諦めの向こうにかすかに輝くだけ。それでも生きていけるんじゃないかとこの年になって思うようになりました

 人生には目の前にいる人に「あなたとは合わないわ」と背を向けることもあります。希望を求めて、ここではないどこかへと水平線の向こうまで歩みを進めて、地球を1周したところでその人の背中が見えてきたりします。その間に自分も変わっていたりしますね。そうすると「お久しぶり」って、その背中に声をかけてみる気持ちになっているかもしれません。家族にしろ、友達にしろ、そういう再会の仕方も悪くないんじゃないかなと思います。

 真知子はとても諦めが悪い性格なんですが、希望を求めてうじうじと地球1周できるくらいの強い執心の持ち主とも言える。けっこうしぶといんですよ、彼女は。