博報堂でコピーライターに。やるなら一流になりたい

 女子寮での経験は、大学卒業後に入社した博報堂でも生きたそう。

 「入社してコピーライターになりました。撮影となると、制作会社の人など全く知らない50人と地方に行くこともあります。そのとき、私が人の気持ちをつかむために一番良い方法は“食べ物”だと気付きました。なぜなら、おなかがすいていると機嫌が悪くなるけれど、おなかがいっぱいだと機嫌がいい。人と食べ物でつながり、その人たちを大事にすると、仕事がやりやすくなります

 「例えば、撮影現場でお菓子を差し入れするときは、偉い人からではなく、現場スタッフのADから渡します。偉い人は黙っていてももらえるけれど、ADは渡してあげないともらえないからです。広告制作はグループで仕事をするので、グループ全体をハッピーにすることを常に考えていました」

 コピーライターとして、生鮮食品最初のブランド化を果たした「ヨード卵・光」や、ユニ・チャームの紙おむつ「ムーニー」を成功させた蟹瀬さん。けれど、そもそもコピーライターを志望していたわけではなかったといいます。

 「入社式で配属が発表されたときに、制作室と言われて『何それ?』と思いました。でも、小さいころから何十編も詩を書くなど、言葉で思いを表現したり、言葉で遊んだりすることが好きでした。入社時に新入社員は全員家族紹介を書かされ、大勢の人の作文を読むのだから少しでも読みやすくて楽しいほうがいいと思い、家族全員を干支になぞらえて紹介しました」

 その作文が良かったのか、コピーライターに任命されました。

 「あなたはこういうのが向いている、というのを信じてみようと思いました。ダメだったらそこで辞めればいい。やってやるだけやってみたらいいし、やるなら一流になりたい。そう思い、コピーライターの道に入りました」