世界への思いを強めた『少年朝日年鑑』
変わったところでは、朝日新聞が出している『少年朝日年鑑』(現在は『朝日ジュニア学習年鑑』)というものがあり、毎年買っていました。確かに読むというものではありませんが、世界中の統計、傾向などをまとめたものです。それが中学年のときでした。
そう考えると、『どうぶつ会議』に始まり、伝記もそうですが、世界に行きたい、外国に行きたいという気持ちが子どものころから強くなったのは、やはり読書に影響されたためだと思います。新聞も好きでしたし。
『少年朝日年鑑』は物語ではありませんが、いうなれば鉄道好きの中に時刻表マニアがいるように、チェックするのが好きだったんですね。インドネシアがパキスタンの人口を抜いた! とかあの国が独立したとか、そういう情報を見るのが面白かったですね。そうした世界の国々の変化を統計で見ながら、想像を膨らませていました。
星新一の“かっこいい終わり方”に引かれた
高学年になると、8歳年上の姉の影響が大きくなってきました。ウルトラマンなどの特撮ものもテレビで見ていたりはしましたが、一方で小学校6年生のときにはもう、つかこうへいさんのお芝居に連れて行ってもらっていました。すごく背伸びする感じはありましたが、姉の影響は大きく、中学1年生のときには姉の本棚にあった筒井康隆を一番読んでいたくらいです。
高学年のころでいうと、星新一ですね。星新一といえばショートショート(小説の中でも特に短い作品)ですから、どの本に夢中になったかはなかなか思い出せませんが、忘れられないのが『ようこそ地球さん』の最後に収録されている「殉教」です。
ある科学者が、霊界・死後の世界と交信できる装置を発明したといい、交信してみるとあちら側の人たちは、死後の世界はすごくいいというんですね。最初はみんな、本当に本人なのか、死後の世界の人と交信なんてできるのかと疑うのですが、死後の世界の人が、その人にしか答えられないようなことを答えてくる。信じた人類の大半がそれなら…と死んでしまうわけです。すると死者が世界中に山のようになっていくわけですが、それをショベルカーで処理する人と、別の女性が登場する。彼らは、さあこれから、そういうことを信じない人間だけで社会を作るんだと話している。
その終わり方が恐ろしいというより、かっこいいと感じたのを覚えています。