みんな個人で、それぞれ違う環境にいて、まったく別の人生を生きてはいるけれど、でもメロディが違うだけで、コード進行はじつは一緒なんじゃないかと思ったり。

 もちろん、誰かが誰かの痛みや、悲しみや困難を、本当の意味で共有することなんかできない。でも、会ったこともない同世代の女の人たちを思い浮かべると、おなじような体が、しんどかったり喜んだりしている体が、これまで色々なことを乗り越えてきた体が、この現在に無数に点在していて、そのひとつひとつがたしかにどこかで繋がっているような錯覚をしてしまう。これは、違う世代や、異性には感じることのできない、不思議な実感だと思う。

今年ほど、春を待ち望んだことはない

 そんなふうに、病院に通い、検査をし、冴えない体をひきずって、2月、3月は過ぎていった。毎日が寒くて、冷たかった。春はいつも素晴らしいものだけれど、今年ほど、春というものを待ち望んだことはないと思う。

 分厚くて重たい雲をそっと破って、太陽の光が、新しい光が降り注いでほしいとこんなにも思ったことはないと思う。けれどもずっと冷たいままだ。もしかしたら、もうこのままなのかもしれないな、とそんなことを考えながら歩いていた。年を重ねていくってことは、こういうことなのかもしれないな、と。

 それである日。いつものように自転車で息子を幼稚園に送り、仕事場に行った。カーテンをしめきった部屋は暗く、どんよりしている。足を温めるヒーターのスイッチを入れる。腰にカイロを貼る。原稿を書く。数時間後、昼食をとるために外に出た。すると、朝とはまるで違う世界がきらめいており、わたしは目を見開いて、立ち止まってしまった。