中3で初めて“ルール”を飛び越した
日経DUALをお読みの皆さん、初めまして。加藤エルテス聡志と申します。父はハンガリー人、母は日本人で、エルテスはミドルネームです。ハンガリーのブダペストから、日本に移ってきたのは4歳のころ。
小学校に通っている間は、先生の言うことを比較的ちゃんと聞く“いい子”でしたが、中学生ぐらいから人の期待に沿って動くことに対し、違和感を覚えはじめ、それからは“Go Beyond the Rulesの常習犯”となりました(笑)。今、自分の半生を振り返ってみると、若かりしころの自分の選択に間違いはなかったのではないかな、と思います。
これからの時代、いかに“Go Beyond the Rules”するか――、つまり、これまでの常識にとらわれず、自分が正しいと信じる道を進めるかどうかが大切です。
親であればなおさらです。
わが子にとって最善の策を取るために、時にはこれまで常識だと言われてきた考え方を疑い、飛び越えていく勇気が必要になります。この連載では、そんな皆さんを応援するメッセージをお送りしていきます。
まず、僕の父親はハンガリーの経済省で働く役人で、母は1970年代、つまり共産主義のハンガリーに渡り、現地の人と結婚して帰ってくるような割とユニークな人間でした。母はハンガリー滞在中にリハビリの仕事を始め、日本でケアマネジャーの資格を取得しました。両親はハンガリーと日本で別居し、僕は母と一緒に生活していたのです。
僕と母が暮らしていたのは大阪と京都の間にある片田舎でした。母は、重度身体障害者施設の技術顧問で、重度身体障害者や脳機能障害を持つ患者や、小児麻痺の患者のリハビリをケアする仕事をしていました。職場が家からすぐ近くだったので、小学校6年間、多いときは週6日ぐらい、母の仕事場に行ったり、夜勤に付いていったりしていました。つまり、僕は「仕事」というものを、母の背中を通して学んだわけです。今でも理系が好きで、医療の仕事も手掛けていますが、それらも子ども時代の体験が関係していると思います。母が働いていてよかったという思いが今でもあります。
当時、僕の好きな本は『Newton』や『解剖学アトラス』でした。後者は母の仕事の関係で家にあった本で、もちろんすべて理解していたわけではありませんが、人体の解剖図や筋肉の仕組みなどがとても興味深かったんです。母の職場で僕が会っていた患者さんは、脳機能に障害があり、思うように筋肉を動かすことができなかったわけで、本からの知識と実際の現象が自分の中で合致していたのでしょう。この体験は僕の仕事の職業的な有能性にもものすごく関わってきています。
僕に最初の“Go Beyond the Rules”の瞬間が訪れたのは、中3のときです。