「僕は大阪にいるより、東京に行ったほうがいいんじゃないか?」

 風邪で学校を休み、本をめくっていたとき、「(このまま大阪にいるより)東京に行ったほうが面白いんじゃないか?」という思いがふと生まれたのです。卒業式の練習も始まっていた卒業間近のころ。「東京に行くなら早く行って、東京で高校を受験したほうがいいや」と、その勢いで、当時、東京在住だった祖母の家に引っ越し、近所の中学校に転校してしまいました。

 今考えれば、すごい急で、勝手ですよね。でも、僕にとってはそれが最善だと思ったし、ごく自然な流れだったんです。周りの人に相談することなく、転校のことは事後報告しました。

 そして、転校した中学校の進路指導室で、受験する高校の情報を集めました。私立は学費が高そうだったので都立に絞り、学区内の高校で志望校を決めました。受験直前に校区を変更したため、内申点は使用されず、入学試験の成績のみで合否が決まるとのことでした。学校の先生からは、点数が足りないのでは、と止められましたが、「勉強すれば上がりますから」と言い張り、結果、思った通り、点数を伸ばして入学しました。偏差値50ちょっとの本当に“フツーの都立高校”でしたけどね。入学後は祖母の家も出て一人で安アパートで自炊しました。

 で、その高校も3年で中退することになります。

今、中3に戻れたら高専に行く

 当時はネットもなく、いわゆる“田舎の子”でしたから、高校に行く以外の情報がなくフツーの高校に行きましたが、今だったら、たぶん高専(高等専門学校)に進んで、卒業後すぐに起業していたと思います。高専に行けば、ハイレベルな基盤設計も、プログラミングも、機械工学も教えてもらえて、授業料も高くありません。内容の水準も、費用対効果も優れています。

 マッキンゼー時代を含めて、何人も高専出身の人に出会ってきましたが、高専出身で優秀じゃない人を見たことがない。全員ものすごく優秀。登るべき山を15歳ぐらいで決めて、長い職業人生を歩んでいるわけですから。僕みたいにフツーに高校を卒業して大学に進学したら、自分の仕事を決めるのは22歳、23歳ぐらいがやっとです。

 さて、そんなフツーの都立高校に入学した僕は、それでも結構楽しんでいました。楽しんだのは、合唱部の伴奏担当と吹奏楽部。クラスの半分の生徒しか進学しない学校で、授業をマジメに聞く生徒も少なかったので、2年までは勉強せず、「今しかできない楽しいことをやろう」と思ったわけです。