わたしに“パパ友”なんてものができるとはなあ

 幼稚園におちびさんたちが入ってきた。

 たった1年前は虎(息子4歳の仮称)もこうだったのかと思うと、感慨深く、また、信じられない気がする。

 みんな、あまりにもちっちゃくて可愛くて。

 朝、幼稚園まで送ってきてくれたママと離れるのがイヤで泣きだしてしまう男の子がいる。何とか涙はこらえているものの、これ以上ないぐらい「不安です!」という顔つきで立ち尽くしている女の子がいる。

 「年少さんって、あんなに幼かったんですねえ」

 「ですねえ、知らないうちに大きくなってたんですねえ」

 平日の真っ昼間、桜の下で日本酒をグビグビとやりながらアラフィフのパパ友と感心しあった。で、感心しあいながらまた感慨を覚えてしまった。

 まさか、パパ友なんてものができるとはなあ。

 幼稚園児のパパなんてものは、20代か30代、せいぜい40代に決まっている。同じ世代のパパなんかまずいないだろうし、いても顔を合わせることなんてまずないだろうし。仮に顔を合わせることがあっても、気が合う可能性はほぼないだろうし──。本気でそう思っていた1年前が、遠い昔のことに思える。子はかすがいっていうのは、何も家庭内に限った話じゃなかったんだなあ、としみじみ思いながら、とっておきの「大信州」をまたグビリ。

 なんだか、今から来年の花見が楽しみになってしまうぐらい、実に新鮮で気持ちのよかった今年の花見でありました。

錦織圭がアンビリーバブルな理由

 さて、普段はスポーツなどにまるで関心のない方であっても、錦織圭という名前ぐらいは聞いたことがあるはず。実はもともとテニス雑誌出身のわたしからすると、アンビリーバブルとしか言いようのない存在である。

 というのも、かつてはサッカーがそうだったように、日本のテニスも、長く「海外」と「日本」は別物だとされてきたからである。ワールドカップは世界の強豪が集う舞台。日本がそこに参加するなんてありえない、というのがごく当たり前の常識だったように、マッケンローやボルグと日本の福井烈さんがウィンブルドンで渡り合う、なんていうのは荒唐無稽なおとぎ話でしかなかった。

 それだけに、奥寺康彦さんがドイツ・ブンデスリーガでプレーすることに日本の数少ないサッカーファンは大興奮し、松岡修造さんがウィンブルドンでベスト8に入った時は大騒ぎになった。世界のオクデラ、世界のマツオカだと日本のメディアははやしたて、多くの人がそれを鵜呑みにした。

 実際、ブンデスリーガでプレーすることもウィンブルドンでベスト8に入ることも、とてつもない快挙ではあるのだが、おそらく、オクデラやマツオカが日本人でなかったとしたら、何の騒ぎも起こらなかっただろう。国際舞台でちょっと活躍すると、あたかも世界中が日本人に熱狂したかのように伝えたがるのは、昔も今も変わらない日本のメディアの悪習の一つである。

 錦織圭は、違う。

 彼は、よくありがちな、日本人にしか知られていない「世界的スーパースター」ではない。テニスをやっている、あるいは愛している世界中の人間で、ニシコリという名前を知らないものはほとんどいないと言っていい。彼は正真正銘の世界的なスターであり、アジアのシンボルといってもいい存在である。

 なので、本当に余計なことをしてくれたな、と思う。